怪人たちがダース単位で居並ぶモハメド・アリを取り巻く群像を思い返すと、ドリュー・ブンディーニ・ブラウンを「怪人」と表現するのは、少しだけ憚られるかもしれません。

しかし、彼もまた紛うことなき20世紀の怪人でした。

Boxrecではブンディーニという人物をan assistant boxing trainer, second, and occasional actor.〜あるときはボクシングのアシスタントトレーナー、あるときは俳優…と説明しています。

言い得て妙な表現です。

一方で、リング誌は「ブンディーニはアマチュアでもプロでもボクシングに正式に関わったことは一度もない、もちろんボクシングをおしえることなど出来るわけがないのだから、トレーナーであるわけもない」と紹介しています。

俳優…確かに「シャフト」や「カラーパープル」に端役で出演しています。

1928年3月21日にフロリダ州ミッドウエイ生まれ、日本でいう中学2年生でドロップアウト。翌年、実際の13歳という年齢を偽り、海軍に入隊、その後12年間世界中の基地を巡ります。

1956年にはシュガー・レイ・ロビンソンのcolleaguesentourage 「取り巻き」の一員に加わりました。

そして、1963年にモハメド・アリのcolleagues となります。

アリの専属医師フレディ・パチェーコは「ブンディーニはアリにとって応援団長であり精神科医だ」と評価し、アンジェロ・ダンディも「アリの最大の理解者。アリのバッテリーをいつも簡単に満タンにした男」とその役割は非常に大きかったと回想しています。

アリとの関係は複雑でした。

60年代半ばにアリのチャンピオンベルトをわずか500ドルで売却し、チームから追放されますが、のちにアリは彼を呼び戻します。

大袈裟な表現ではなく、アリが多くの激闘を勝ち抜けたのはブンディーニのおかげでした。そして、アリが喫した敗北についても同じことが言えます。

アリの61戦のキャリアで44試合でコーナーに付いたブンディーニ。彼はいつもアリのそばにいたのです。

アリの2番目の妻だったカリア・カマチョは「あの二人はトム・ソーヤーとハックル・ベリーフィン。冒険好きな気の合う永遠の少年だった」と語っていました。

ボクサーが試合に向かう過程は、パズルを完成してゆくことに似ています。

トレーニングメニューや、それをこなすための肉体と精神、安らげる時間や、自信を失わないようにする方法…どれか一つのピースでも欠けてしまうとパズルは完成しません。

かつて、ジョージ・フォアマンは「私はブンディーニをトレーナーやコーナーマンとしては認めない。その職業に関しては何の能力も持ち合わせていなかったから」と断りながらも「アリの不撓不屈の源泉にブンディーニがいる。それはトレーナーよりも遥かに大切な存在だ」と見抜いていました。

ボクシング史上で最高の二人、シュガー・レイ・ロビンソンとモハメド・アリの取り巻きを〝務めた〟ブンディーニ。

彼は、もしかしたら世界で最も難しい職業をこなしていたのかもしれません。

他にも世界ウェルター級王者ジョニー〝ハニーボーイ〟ブラトンや、ヘビー級のコンテンダー、ジェフ・メリット、ジョージ・チュバロ、ジェームス〝クイック〟ティリスらがブンディーニを取り巻きとして招き入れました。

ボクシングファンからは「ロビンソンやアリを食い物にした最低野郎」と憎悪されることもあるブンディーニは、本当に最低野郎だったのかもしれません。

しかし、確実に言えることが一つだけあります。

ロビンソンやアリに限らず、難解なパズルを完成させようと悪戦苦闘するボクサーにとって、ブンディーニは探しているピースのありかを教えてくれる存在でした。

あるいは、ブンディーニその人こそが、重要なパズルのピースだったのかもしれません。
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あるときはアシスタントトレーナー、あるときは俳優、あるときは裏切り者…ブンディーニはいくつもの顔を持っていましたが、どれもこれも中途半端なものでした。

ただ一つ、詩人としてのブンディーニだけは例外でした。

有名なアリの試合前のルーティーン、トラッシュトーク。

トラッシュと呼ぶにはあまりにも上質で、トークとは明らかに異なる詩吟を詠むような印象的なリズム。

その後、ラップに昇華した、全く新しいトラッシュトークは、一人のボクサーを神たらしめた魔法の呪文でした。

いまや一大ジャンルに発展した、ラップミュージックとは何か?答えは簡単です。

トラッシュトーク。

ラップの本質は、アリとブンディーニが生み出したトラッシュトークなのです。
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https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=En7-LnYVkkM&feature=emb_logo

フレディ・ローチは彼の最初の傑作バージル・ヒルと袂を分かった原因を「価値観を共有しすぎた。trainer はcolleagues や entourage であってはいけない。 トレーナーは父親でも兄弟でも親友でもないし、それに近い関係を作ってはいけないんだ」と説明しました。

しかし、colleagues や entourage もまた父親でも兄弟でも親友でもありません。

ボクサーはリングの中ではたった一人で戦わなければなりません。その一方で、コーナーにはトレーナーやカットマン、マネージャーら他の個人スポーツでは考えられない多くのスタッフが控えています。

彼らは程度の差こそあれ、モチベーターという〝副業的な〟役割も果たしています。

そして、モチベーター専門の役割を担うのが colleagues や entourage なのかもしれませんが、それも少し違う気がします。

また、日本のボクシング界で見られる父子鷹の関係にもcolleagues や entourageの匂いがするように見えますが、それは錯覚です。

確かに彼らはボクシングやトレーナー経験がないか浅いにもかかわらず、選手、子供たちにとっては絶対の拠り所です。

辰吉粂二や亀田史郎、井上真吾の役割はその子供たちにとって、ただのトレーナーやモチベーターではありません。

子供たちと父親は、血脈は当然として強固な封建関係で結ばれています。

そこには、フロイド・メイウェザー親子のようなドライな雇用関係は存在しません。

粂二や史郎、慎吾は子供たちにとっては、大きな恩返しで報うべき存在です。

「お父さんのやり方で世界チャンピオンになったぞ!」と。

そこには考え方の違いから、父親から離れるという思考回路はありません。彼らにとって偉大なボクサーを目指すのは二義的な目標です。

「父親のやり方」で偉大なボクサーを目指すことこそが、彼らの絶対的な流儀です。

父親たちは、チャンピオンベルトを売り払ったり、カネを無心することはなく、没落しても最後まで味方でいてくれるのです。

…そして、それは、やはり colleagues や entourage とは違います。

colleagues や entourage とは何なのか?

アリやパッキャオにあって、マイク・タイソンに欠落していたのは勇気や想像力、ボクシングの奥行き、戦う姿勢…とされてきました。

「タイソンは才能はあったけど画一的な練習方法で型にはまった戦い方しかできない間違ってプログラミングされたロボット。あの癖は治らない」とローチが匙を投げたように。

…しかし…。

もしかしたら、勇気や想像力ですら大きな問題ではなく、タイソンには本当に彼が必要とするcolleagues や entourageについに恵まれなかったが為に、一度もオッズをひっくり返せない右肩下がりのキャリアを転がり落ちたのかもしれません。 

タイソンの没落は広く信じられている技術的な欠陥が暴露されたからではなく、誰も充電してくれない空っぽの心のままリングに上がり続けていたからではないでしょうか。



パッキャオでも技術的なミス、間違った戦略を選ぶことはあります。強打のルーカス・マティセにアッパーで攻め込ませたボボイ・フェルナンデスの戦略は本当なら愚策でした。

全ては結果論です。劣化バージョンのマティセだから快勝できたのです。

しかし…、本当にそうだったのでしょうか?

血よりも濃い関係で結ばれたボボイが初めてつとめるチーフトレーナーとして指示してくれた「アッパーで攻めろ」。

その言葉に、パッキャオの情熱が感応したのだとしたら?「ボボイのやり方で勝たなければ意味がない」とパックマンの魂に火が点いたのだとしたら…。

タイソンに群がっていたのは、カネ目当てのハイエナどもだけで、彼が破産した瞬間に綺麗に離れて行きました。

孤独や恐怖の底なし沼に引きずり込まれそうな夜、最高の励まし方で空っぽの心に自信のエネルギーをフル充電してくれるようなcolleagues や entourage を、きっとタイソンは一人も持つことが出来なかったのでしょう。

ブンディーニもカネ目当てのハイエナだったのかもしれません。

しかし、タイソンにまとわりついていたような、ただのハイエナではありませんでした。



colleagues と entourageのお話、ブンディーニの怪奇譚は、まだまだ、続きます。