おそらく地球上で最も複雑なエンターテインメント、プロレス。

プロレスラーという響きからは、プロボクサーや柔道家、空手家など他のジャンルの格闘技に従事している選手がまとっているのと随分違う、不思議で怪しく蠱惑的な旋律が聞こえてきます。 

何度も絶体絶命の〝死刑宣告〟をうけながら、日米で逞しく生き残っているプロレス。

米国でジリ貧のプロレス産業を救ったのは「八百長ショー」だと自ら認める逆転の発想からでした。

老舗団体のNWAやAWAが未来の絵を描けずにいた中で、第三団体だったWWWF(日本人が初めてこの団体を知ったのは「藤波辰巳」によってでした) は、八百長を積極的に否定出来ない老舗二団体と違い、エンターテインメントに徹底的にこだわることでWWEへと進化を遂げました。

スポーツの看板を下ろしてエンターテインメントと認めたことは2つの大きな効果がありました。

一つ目はプロレスへの不信感を払拭して、純粋なショーとして楽しむスタイルを示したこと。リングでの対決に至るまでの物語を提供し、リング内でも徹底的にショーにこだわり、リングを降りた後はまた新しい物語が始まる…。

そして、二つ目。「スポーツ」なのか「エンターテインメント」なのかは、米国ビジネスでは重大な問題なのです。つまり、税金です。エンターテインメントで申請した方が税金が低くなるという仕組みです。

NWA的なプロレスを嗜好していたオールドファンの中には「なんだ、八百長を認めちゃうのかよ」「なんだこのわざとらしいショーは、こんなのプロレスじゃない」とWWEを見限った人もいるでしょう。

しかし、NWA的なやり方では、プロレスは座して死を待つだけでした。プロレスは生き残ったのです。
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カシアス・クレイは自転車を盗まれたことからボクサーになり、ゴージャス・ジョージからトラッシュトークを盗んだことからモハメド・アリに昇華しました。

日本の場合は1960年代の「スポーツとして」と、2000年代の「格闘技として」の2度、決定的と思われる〝死刑宣告〟を受けました。

戦後、最も日本人を沸かせたプロレスは当初スポーツとして認知されていました。力道山が外国人レスラーを空手チョップで打ち倒す姿に日本列島は純粋に感動したのです。

しかし、1960年代になるとプロレスは真剣勝負ではなく〝八百長〟だと見なされ、一般紙がスポーツ欄で取り上げることはなくなりました。

このとき、プロレスはスポーツとして死にました。それ以来、プロレスはスポーツと認められることなく、つまり〝市民権〟を失ったまま半世紀以上が過ぎています。

それでもプロレスの試合は八百長でも「プロレスラーは本当は強い」という幻想は、一部のマニアの間に宿便のように残っていました。

その最後に残された幻想も総合格闘技のリングで人気プロレスラーが何度も惨敗することで、木っ端微塵に破壊されてしまいました。

そして、今、市民権も最強幻想も喪失したプロレスは女子ファンまで開拓するムーブメントを起こしてエンターテインメントとして新たな成長期を迎えています。

つまり、今のプロレスファン、彼らや彼女たちにとって「市民権」や「最強幻想」などどうでもいいことになっているのです。 
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ボクシングには、プロレスのようなエンターテイメントという逃げ道が、恐らくありません。

かつて、プロボクシングのヘビー級チャンピオンは「世界最強」と考えられていました。モハメド・アリが豪語する Greatest も「最強」と訳されることが多かったのですが、総合格闘技がここまで進化・発展した現在ではその訳では誤解を招いてしまうかもしれません。

しかし、プロレスファンのような「最強幻想」にしがみつくボクシングファンは少数派です。総合格闘技は、ボクシングが初めて直面するコンバットスポーツのライバルでしたが、そこに「ボクサーの方が強い」というこだわりや変なプライドはありません。

ボクシングファンが総合格闘技に対して何かライバル心のようなものがあるとしたら「ボクシングの方が五輪種目になっているなどスポーツとしての格は上」という瑣末なレベルでしょうか。

それはプロレスに対しても同様で「ボクシングには市民権がある」「プロレスは八百長」という〝優越感〟となって現れてきました。

「ボクシングには市民権がある」。「格闘技スポーツの中で一番格上」。

それは大切にしなければならないストロングポイントの一つですが、見方を変えると茹でカエルが「このままでいい」と考えてしまいがちな〝ぬるま湯〟ではないでしょうか。

ハロルド・ジョージ・メイの話をしようと思っているのに…前置きが長くなっています。