先日、近所のガキどもと遊んだときに「9月入学・新学期」の話題も出ました。

当事者の彼らは「4月が始まりの季節、9月は違う。変!」「新しい教科書もらって9月まで使わないのって変!」「今年の9月入学なら今の時期って何?変!」…と全員が「変!」をひたすら連呼する反対派でした。

ゴールデンウィーク中に調査会社アスマークが20〜60代男女を対象に実施したアンケートでは半数以上が「賛成」。「この機会に世界基準に合わせるべき」という意見が多く拾われました。
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ガキどもの「9月は始まりの季節じゃない」というのは、既成のサイクルに慣れているだけでどの月を入学・新学期にするかは「いつやるか」も含めて「4月」「9月」だけにこだわらずに柔軟に考えてもいいはずです。

当たり前ですが複数のスタート月があっていいですね。

子供の言う「教科書問題」も瑣末なことで、こんな長くて深刻なコロナ禍に直撃されたのですから3月に配布された教科書が4月に使えないことくらい大した問題ではありません。

ただ、昨日もニュースを賑わしたこの問題については、当事者の声は一切無視されています。

アスマークの調査も当事者ではない保護者や有権者へのアケートです。

仕方がありません。社会のことを何もわかっていない未成年の当事者に聞いたところで「変!」「変!」と直感的な反応しか返ってこないのは目に見えています。

もし、そんな未熟な当事者の意見を尊重して物事を決めてしまうと、一番大切にしなければならない当事者に不利益が降りかかる可能性が高まります。

それでも、当事者の意見を一切聞かないというのはどうなんでしょうか。
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「なんで自分たちのことなのに自分たちのやりたいようにできないの?」 。

「それが世の中というもの。嫌なら大臣か国会議員か裁判官になれ」。

「そんなの無理っぽいし、なりたくないし、つまらない」。

「 自分たちの思い通りにならない世の中に反抗するだけならテロリストの考え方と変わらない」。

「じゃあテロリストになる」。

「テロリストの社会や組織の方がずっとおかしな矛盾や醜い内輪揉めがあって、はるかに住みにくいぞ」。

「そんなこと何で知ってる?テロリストの仕事してたの?」。

「そう、大学時代にバイトでな。どっちにしてもお前らお未来には楽しいことがいっぱい、いっぱい待ち構えてる。おいしいお酒も飲めるだろうし、おいしいものも食べる、いろんな国に行って刺激的な世界を感じたり、大好きな異性もできるだろうし、まだ見てない映画や聞いてない音楽に感動したり…テロリストになったら出来ないことがいっぱい楽しめる。だから9月入学とか教科書の話なんてどうでもいいんだ、そんな大人が決めることに興味は持つな」。

「大人になったら働かなきゃダメだから嫌だ」。

「鋭い指摘だ!でも働くのって、想像してるほど大変なことじゃない。 楽しい仕事もあるし、子供よりも自由だ」 。

「本当に大人になる方が楽しいか?」。

「当たり前。お前らみたいなバカな子供の面倒を見る羽目になった場合は楽しくないし、迷惑な話だけど、こんなのちょっとの時間だし」。

「バカじゃない!変だ!やっぱり変!変!」 。「テロリストのバイトって何するの!?」。


ーーーアベノマスクは「9月入学・新学期」までに届くでしょうか?

大人のやることはチンプンカンプンの茶番劇、それがこういう危機的状況になるとさらに輪をかけて迷走してしまって、そのしわ寄せが行くのは子供たちをはじめ、声を拾われにくい人たちです。

このトンネルを抜けても、なんだかなあ、な毎日は続くんでしょう。