IBF(International Boxing Federation) は「WBAから分裂」という先輩のWBC、後輩のWBOと同じプロセスから1983年に誕生しました。

WBCが将来の独立を目論んで1963年に設立、準備(根回し)期間を経て1966年に正式に分離独立した経緯をなぞるように、IBFも1979年にWBA内部にUSBAとして母体が生まれ、4年間の根回しを経て1983年に独立しました。

WBAが反乱分子を抱える持病持ちであることは間違いありません。

決して一貫性のない組織JBCが「タイトルの価値を貶める」という大義名分を掲げてIBFを認めませんでしたが、それはもちろん偽善にすぎません。

醜悪な大義名分の裏側には、既得権益に固執するWBAとWBCから何らかの工作があったこと、IBF設立同時に国内で誕生したIBFジャパンの勢力拡大を恐怖した自己保全がありました。

もし、WBCが極東の巨大市場の橋頭堡としてWBCジャパンを設立する戦略を選択していたなら、JBCが第二団体をスムースに受け入れることはなかったでしょう。

JBCがIBFを認めたのは2013年。第三団体IBFの誕生から30年もの歳月が流れ、第4団体WBO発足からも25年もの時間が経っていました。
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HISTORY

1977年、IBFの母体となるUnited States Boxing Association(USBA)がWBA内部に米国を担当する部署として誕生しました。

USBAが将来の分離独立を目指す思惑をもっていたことは、1979年にNorth America Boxing Association(NABF)加盟州にニューヨークを除く米国各州コミッションを加盟団体として、WBAの意志から離れて北米での地域タイトルの承認を開始したことからも明らかでした。

1970年代からWBAの中南米志向は鮮明になり、WBCもメキシコで強固な一族経営の地盤を築くなど〝アメリカ離れ〟〝アメリカ飛ばし〟の色彩が濃厚になっていました。

そんな中で、1982年にパナマのロドリゴ・サンチェス会長の急死で空位となったWBAの会長選挙に立候補したのが黒人役員ロバート・リーでした。

リーと、彼を支援していたドン・キングら米国のプロモーターが目指したのは「米国復興」でしたが、パナマとベネズエラでたらい回しが決められていた会長の椅子に米国人が座れるはずもなく、リーは会長選に落選してしまいます。

このとき、勝利した新会長がヒルベルト・メンドサ(ベネズエラ)でした。

「ロドリゴ・サンチェスは殺されたのではないか?」。その後のWBAを牛耳り、WBCと同じく世襲制を敷くことに成功したヒルベルトには強烈な動機がありました。

そして、ヒルベルト以上にリーとキングにも。さらに、キングは(元?)殺人のプロ。動機もスキルも十分です。

こうした背景から、1983年に誕生したのが United States Boxing Association-International(USBA国際部)、でした。

WBCが分離独立したときに、その妨害工作はWBAからだけ受けましたが、IBFの場合はそうはいきません。WBAとWBCの2団体の嫌がらせに勝ち抜く必要がありました。

IBFの対抗戦略は「ブランディング」でした。

最初に目をつけたのがシュガー・レイ・レナードの引退で、世界の中心となっていたミドル級、WBA/WBC完全統一王者マービン・ハグラー

IBF1983年5月27日、ウィルフォード・シピオンとの防衛戦をIBFは初代ミドル級王者決定戦と承認します。

この試合は当初、WBAとWBCが「12回戦」として承認していましたが、ハグラーがこれを拒否したことで「15回戦」で仕切り直しを提案したUSBA-Iにチャンスが回ってきたのです。

もちろん、WBAとWBCは承認せず。しかし、腐敗した承認団体とリングのスーパースター、どちらが強いかなんて、当時でも火を見るよりも明らかでした。

12月にはWBCタイトルを放棄したラリー・ホームズを初代ヘビー級王者にリングの上ではなく、机上の書類手続きで認定しますが、ビッグネームの取り込みは USBA-I の思惑通りに世界的な認知に直結しました。

1984年には、USBA-IからInternational Boxing Federation/United States Boxing Associationと、日本の銀行が合併したときのような長ったらしい名称に変わります。

実はこの長い名称は2018年にInternational Boxing Federation(IBF)とシンプルに改称されるまで、つい最近まで正式名称でした。

United States Boxing Association もIBF傘下の地域タイトルとしてその名前は残っています。
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デュランとアルゲリョとの3ショットに収まるマリアン・モハマド。


初代会長はロバート・リー。2代目はヒアワサ・ナイト。

そして、3代目のマリアン・モハマドは承認団体史上初で唯一の女性会長です。

2010年から現会長のダーリル・ピープルズが指揮を執っています。先行2団体とは違い、世襲制ではありません。

では、世襲制でないIBFが最も信頼に値する承認団体なのでしょうか…?