アーロン・プライアーは不遇の天才でした。

アマチュア時代は米国史上最強の「モントリオール1976」のバスに乗り損ね、プロに転向してからもシュガー・レイ・レナードの圧倒的なスター性の前に、脇役にすらなれませんでした。

当時はマイナーといって差し支えのないジュニアウェルター級という小さな井戸の底で、プライアーは、注目度も報酬も報われないキャリアを終えるしかないように見えました…。


プライアーはスター性のない、つまりはリターン(報酬)が期待できない、それなのに滅法強いという大きなリスクがあるファイターでした。

そんなボクサーと戦いたいヤツがいるとしたら、世界戦なんて夢のまた夢のような雑魚ボクサーだけです。

負けても彼らからしたら報酬は十分、世界戦のリングにも上がれるし、万一勝つようなことがあればリターンの大きさは計り知れません。

プライアーがビッグネームと戦える日が来るとしたら…、ずっと未来にプライアーが劣化して黒星を重ねた頃に、踏み台や噛ませ犬としての需要が発生するまで待つしかないように思えました…。
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WBAから贈呈されたレジェンド・プレート

スター選手が全盛期のプライアーに挑戦。

現代に例えたら、5年前にミゲール・コットからミドル級のリング誌/WBC/Lineal Championを奪ったカネロ・アルバレスが当時無敗の凶暴なセルゲイ・コバレフに挑戦状を叩きつけるようなものです。

それをやっていたら、勝敗に関係なくカネロは世界中のボクシングファンから認められたでしょう。

もちろん、スターダムの地位を固めたカネロがそんな危険な橋を渡る必要などありません。現実のカネロはコット戦のあと、アミール・カーンやリーアム・スミスという動くサンドバッグを叩いただけでした。

しかし、スターの地位を固めていたにもかかわらず、全盛期のコバレフ以上に凶暴なスタイルで王者に君臨していたプライアーに、下の階級から敢然と挑んだボクサーがいたのです。

それだけでもうカッコ良すぎるのに、ルックスからボクシングスタイル、話をする物腰まで何から何までカッコ良いアレクシス・アルゲリョが挑戦したのです

1982年11月12日、フロリダ州マイアミ、オレンジボール。

一般のスポーツファンまで巻き込んだモハメド・アリやシュガー・レイ・レナードの普通のメガファイトと比べると、見かけの華やかさは劣ったかもしれません。

しかし、世界中のボクシングファンの高揚感の質は、はるかに上でした。
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1952年4月19日にニカラグアのマナグアで生まれたアルゲリョ。

1955年10月20日にオハイオ州シンシナティで生まれたプライアー。

国と時は違えど、2人はスラムで生まれ、心の奥底に暗い闇を抱えた兄弟〝カインとアベル〟でした。

「兄」は57年の短い生涯で、最後の最期まで絶対にその闇を見せずに天国に旅立ちました。

「弟」は深い闇を隠そうとせずに晒け出し、撒き散らしながら「兄」よりも3年だけ長い人生を走り抜きました。
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▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎移動中などに思いつくままに、途切れ途切れにぽちぽち書いていると、最初に見えていたお話の輪郭がぐずぐずに崩れたり、「下書き」でなかなか進まないままの話とオーバーラップしてきたり、混線・スクランブル状態になることがよくあります。

このプライアー話もそのパターンで、下書きで停滞していたアルゲリョ話と合流してしまいそうです。

10年以上ものときを経て、あらためて数多くの2人の記事を読み直してみると、昔は理解できなかった「犯罪的な事件が陰を落とした試合を戦った二人の仲の良さ」が分かったような気がしました。

そうです。ふたりはきっとカインとアベルのような〝兄弟〟に近かったのです。