1980年代の中量級黄金時代が去り、1990年にマイク・タイソンが東京ドームに沈んで迎えた1990年代。

世界のボクシングシーンはフリオ・セサール・チャベスを中心に回っていました。

モハメド・アリからシュガー・レイ・レナード、マイク・タイソンと米国の黒人選手をリレーしてきたスーパースターのトーチが、ボクシング大国メキシコについに渡ったのが90年代でした。

その後、メキシカンの血が流れていないフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオがトーチを握ります。

しかし、彼らのメガファイトの多くが「いつ」行われたかを思い出せば、カネロ・アルバレスの出現を語るまでもなく、米国リングでメキシコの極彩色がますます色濃くなっていることがわかるでしょう。
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【1990年3月17日】リチャード・スティールは正しかったのか?永遠に答えの出ない問題を提起したメルドリック・テイラー戦の「あと2秒」。

【1992年9月12日】メキシコvsプエルトリコ。伝統の一戦に新たなページを加えたヘクター・カマチョ戦。

【1993年2月20日】メキシコシチーのアステカスタジアムに記録的な13万人の大観衆を集めたグレグホーゲン戦。

【1993年9月10日】4階級制覇を賭けたパーネル・ウィテカ戦で、無敗記録を守った疑惑のマジョリティ・ドロー。

【1996年6月7日/1998年9月18日】「メキシコによるスーパースターの世代交代」という新時代を映したオスカー・デラホーヤとの2試合。

【1999年12月18日】近代ボクシングでは稀有な連勝記録を持つ2人のビッグファイト。101連勝のバック・スミスと89連勝のチャベスの対決。

ーーJ・C・スーパースターが繰り広げた絢爛の名勝負から最も印象的な試合を「一つだけ選べ」というのは土台無理な注文です。

しかし、チャベスの快進撃と「デビュー以来無敗」は常にセットでした。

その意味では、無敗記録を「90試合(90戦89勝74KO1分)」でストップされたフランキー・ランドール戦の衝撃は強烈でした。

ときは1994年1月29日、フェリックス・トリニダードvsヘクター・カマチョのもう一つの大国プエルトリカン対決のセミファイナルにセットされたWBC世界ジュニアウェルター級12回戦。

リングが組まれたのはMGMグランド・ガーデンアリーナ。今ではラスベガスの象徴として定着したMGMグランドにとって、記念すべき最初のボクシング興行がこの日でした。

そして、メキシコの神は、ついに91試合目でアラバマ生まれの〝The Surgeon〟(外科医)の拳に圧倒されてしまうのです。

このお話の主役は、今なおメキシコでは神のごとく崇められるJC・スーパースターの神話を切り崩したランドールです。

外科医のコスチュームで入場するショーマンシップも持ち合わせていたランドールといえば、チャベスに(2度)勝った男、です。

アマチュア時代にゴールデングローブ大会を5度制し、プロでも3度も世界王者に就いたランドールが一流のボクサーであることは論を待ちません。

しかし、100人のボクシングファンに「ランドールとは?」と聞いて、すぐに返ってくる答えは「チャベスに勝った最初の男」でしょう。

そして、彼は誰よりもプロボクサーという職業を愛し抜きました。

それなのに、現在58歳になる「伝説に終止符を打った男」にとって、運命はけして優しいものではありませんでした。

 I love my job.

息子のマーカス・ランドールは静かに語ります。

「父親はボクサー性の認知症とパーキンソン病が進行して、今はテネシー州の介護施設にいる。脳手術も受けて会話や動作、精神状態も安定しない」。

「彼はボクサーで、その職業を愛していた。そして家族を支えてくれた。でも、私たち家族はその父親の面倒をもう10年もみて来た」。

「人々は『チャベスに勝ったボクサー』として父親を記憶してくれている。私にとっても父親はヒーローだ。そして、やっぱり父親は父親なんだ。目の前に、静かにこうして座っているのも父親なんだ。父親はボクサーとして戦ってきた。今度は私たちが戦う番なんだ」。

マーカスは、ボクシングを恨んだり憎んだりしていません。

「ボクシングが、この仕事が大好きなんだ」。父親がいつもそう笑って語ってくれたボクシングを嫌いになれるわけがないのです。

「父親は素晴らしいボクサーだった。このスポーツに打ち込んで、世界中を驚かせた」。

父親について二つの素晴らしい思い出は、マーカスの宝物です。

一つは、自分の職業を愛した姿勢。父親が「ボクシングという仕事が大好きだ」という言葉を何度聞いたことか。

もう一つは1−15の圧倒的不利をひっくり返した、チャベス戦後のインタビュー。

フランキー・ランドールは ShowTime から向けられたマイクに叫びました。「テネシーに帰ったら小さな息子マーカスに自慢してやるんだ!父さんはやったぞ!ヒーローになったぞ!」。

マーカスは「まだ小さかったけど、父親がラスベガスでとんでもない勝利を掴み取ったことは、よくわかった。父親が大好きな仕事で大成功したんだと。最高の思い出だ」と嬉しそうに笑います。
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チャベス戦の衝撃はトレーナーのアーソン・スノーウェルにとっても忘れることができません。

「ティム・ウィザスプーンやマイク・タイソン、ジュリアン・ジャクソン、ティム・オースティン…いろんな選手をコーチして、試合でコーナーに着いてきたが、あの試合ほど興奮したことはなかった。今まで一度もダウンしたことがないチャベスをキャンバスに這わせたんだ。私はボクシングの歴史が作られた瞬間に立ち会ったんだ」。

チャベスとの再戦を不可解な8ラウンド負傷判定で落としたときのこともよく覚えていました。

「誰が見てもランドールの勝ち。(主審の)ミルズ・レーンは何度もチャベスに休息の時間を与えた。360度チャベスの応援で、主審も3人のジャッジもみんなグルだった」。

スノーウェルは憤懣やり方なく帰りのバンに乗り込み、父親が悪玉に仕立て上げられた挙句に判定まで盗まれてしまい、小さなマーカスはわんわん泣いていました。

しかし、スノーウェルがあの日の出来事で最も印象に残っているのは、理不尽な判定ではなく、子供を抱きしめたランドールの言葉でした。

「泣かないでおくれ。かわいい息子よ。ボクシングにはいろんなことがあるのさ。そんなことも全部ひっくるめて、父さんはこの仕事が大好きなんだ。泣かないでおくれ、ここで終わりじゃない。続きがあるんだから。お前が応援してくれるから、父さんはまた頑張れるんだ」。



「私が教えたボクサーの中にはこの仕事が嫌いなやつもいた。そんなボクサーと一緒に練習を積むのは苦痛だった。でも、ランドールは心の底からボクシングを愛していた。あいつと一緒に戦えたことは最高の幸せだった」。

スノーウェルは「一番嬉しかったのはチャベスに勝った瞬間」「一番悔しくて納得できなかったのはチャベスとの再戦」と言います。

チャベスの存在はそれほど大きなものだったのです。


…でも、本当にそうでしょうか?

チャベスに勝ったとか負けにされたとかは、どうでも良い後付けではないでしょうか。

そんな些細なことよりもボクシングを愛し抜いたフランキー・ランドールと懸命に戦うことが出来た、その時間こそがスノーウェルの大切な思い出になっているのではないでしょうか。