辰野金吾の最高傑作、中央停車場、すなわち東京駅。

2014年(大正3年)の創建から、戦災復興工事(1945〜1947年)と保存・復原工事(2007〜2012年)の2度の大規模な工事を経て現在の姿になっています。

1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間で開通、東京と各地方を結ぶ鉄道建設が進みます。

しかし、東京の市街中心部は江戸時代から人口密集地で鉄道ネットワークを広げることが出来ませんでした。最初の鉄道が「東京」ではなく「新橋」〜横浜になった背景の一つがそこにあります。

明治10年代に入ると東京の都市計画と連動して鉄道を整備しようと「市区改正計画」が策定。

道路交通の妨げにならないように高架線を建設、ネットワークの中心にターミナルを統合した中央停車場の建設計画が盛り込まれました。

その後、日清・日露戦争の激動の時代も影響し、30年にわたる長い歳月を要しましたが1910年(明治43年)12月に中央停車場がついに完成「東京駅」と名付けられたのです。

当初、建設にはフランツ・バルツァーが設計するはずでしたが、ドイツ人技師が提案した「レンガ造りでありながら、瓦屋根に唐破風をあしらった和洋折衷のデザイン」が西洋化を推進する日本政府が志向する純西洋風の建物に沿わなかったため破談。

辰野金吾に大仕事の依頼が舞い込むことになったのでした。
IMG_2424
バルツァーの「東京駅案」。確かに「これじゃない」という違和感が、21世紀の今でもわき起こります。
IMG_2422
やっぱり、こっちです、バルツァーに作らせないで正解でした。

「辰野の東京駅」は3階建て全長約300メートルを優に超える、レンガと鉄筋造りによる駅舎で、関東大震災にも耐えた頑丈な構造でした。

しかし1945年の東京大空襲で大きな被害を被り、戦後すぐに修復工事が行われたものの物資不足のため「辰野の東京駅」を再現することは断念され、その姿を取り戻すのは平成まで待たねばなりませんでした。
IMG_3511 (1)
上が「昭和の東京駅」です。下の復原した「明治の東京駅」の方が絶対いいです!

前置きが長くなりました。 

赤煉瓦です。

あの関東大震災でもビクともしなかった「辰野の東京駅」は、当然ながら躯体の煉瓦積みだけで作られた建造物ではありません。 鉄筋を巧みに使用した堅牢なインナーマッスルと、美しくなめらかなレンガの肌を併せ持っていました。
IMG_1792
こういうことです↑ しっかりと鉄骨が構造煉瓦を支えているのがわかります。
IMG_3568 (2)
「辰野の東京駅」は下駄歯積みの構造煉瓦に対応して、15㎜(五分)と45㎜(一寸五分)の二種類の化粧煉瓦を一段ごとに交互に積むことで剝落防止まで図っていました。
IMG_1786
こういうことです。↑

現在の復原・東京駅は構造煉瓦など使用しているわけはなく、化粧煉瓦を貼り付けているだけですが、往時の美しさは十分再現されています。

この化粧煉瓦はLIXILが再現製造したものです。えらい!
IMG_3565

そして、あと126日(この写真は昨日撮ったもの)。