あとから思えば…。
そういうことはよく、よくあります。
多くの場合は、はっきりと、そして忌々しく印されたいくつもの予兆に気づかずに、泥沼の事態に嵌まり込んでしまう、悔恨と怒りが混じり合う最悪の「あとから思えば…」です。
しかし、こんな時期にそんな馬鹿なことを言い出すわけにはいきません。
だから、明るい、素晴らしい「あとから思えば…」のお話です。
「あとから思えば…」。
2011年7月3日〜9日、ジャカルタで開催された「第21回インドネシア大統領カップ」は日本のアマチュアボクシングはもちろん、プロボクシングの現在地図から振り返っても、明るい未来へのパスポートが確かに発行された大会でした。
ロンドン2012を翌年に控えて「ここで負けたら話にならない」という国際大会です。
戦前は女子選手の充実ぶりが伝えられましたが、男子もアジア大会で連続銅メダルに輝いた須佐勝明を中心に「あとから思えば…」な豪華な名前がエントリーされました。
しかし、当時もすでに腐敗を極めていた日本ボクシング連盟の許されざる醜態は、この時点ではまだ白日のもとに晒されていません。
既得権益にしがみつく暗愚で理不尽な老人たちが仕切る腐敗連盟から派遣されたにもかかわらず、赤道直下のジャカルタに降り立ったのは、ボクシングファンが誇るにふさわしい史上最強の日の丸部隊でした。
総監督は父親同様にボクシング経験ゼロ!という山根昌守さんという、常識では絶対考えられない最悪最低の布陣。
そんな腐った組織でも、ボクシングが素晴らしいスポーツであることは揺るがしようもない永遠不滅と絶対不変の事実です。
そして、2004年のスマトラ島沖地震から中止が続いていた「大統領カップ」を復活開催にこぎつけたインドネシアに招かれたこの日本代表選手団もまた、この年に見舞われた未曾有の天災に閉塞した母国をあとにして亜熱帯のリングに上がったのです。
本当にいろんな意味で「ここで負けたら話にならない」。
そんな戦いに選手たちは躍動してくれました。
金メダルの期待が大きかった清水聡(ロンドン2012:バンタム級銅メダル)がまさかの初戦敗退、国際的な実績豊富な川内正嗣も準決勝で涙を飲んだ一方、須佐は52kgで優勝するなど金メダル3個、男女合わせたメダル総数は8個に上りました。
須佐の他、2つの金メダルは、なんとなんと国際大会初体験の二人によってもたらされました。
一人は49kg級の相模原青陵高校3年生。当時、まだ17歳!
準決勝の相手は、前年の全日本選手権で敗れた林田太郎を競り落とした中国の強豪ウー・ロングオ。
「不利」の予想通りにポイントでリードを許す苦しい展開でしたが、激しい打ち合いの末に逆転勝ちを収めます。
事実上の決勝戦を制した17歳は、そのままの勢いで国際大会デビューを優勝で飾りました。
帰国後すぐに行われた世界選手権代表選考試合でも、苦手なクロスレンジを徹底的に避けて林田を振り切り、雪辱。日本最強を証明して、代表切符を手にすることになるのです。
そして、もう一つの金メダルは75kg級。世界のミドル級です。
この金メダルは、全試合KO・RSC!と圧巻の内容で、やはり国際大会初体験の東洋大学職員の首にかけられたのです。
知的で温厚で優雅な現在のたたずまいからは想像も出来ませんが、当時は記者からの無神経な取材には苛立ちを隠さない態度で応じていました。
「日本人にミドル級は無理?いつまで同じことゆうとんねん」。
最高です。ずっと、そんなセリフが聞きたかったんです。
そういうことはよく、よくあります。
多くの場合は、はっきりと、そして忌々しく印されたいくつもの予兆に気づかずに、泥沼の事態に嵌まり込んでしまう、悔恨と怒りが混じり合う最悪の「あとから思えば…」です。
しかし、こんな時期にそんな馬鹿なことを言い出すわけにはいきません。
だから、明るい、素晴らしい「あとから思えば…」のお話です。
「あとから思えば…」。
2011年7月3日〜9日、ジャカルタで開催された「第21回インドネシア大統領カップ」は日本のアマチュアボクシングはもちろん、プロボクシングの現在地図から振り返っても、明るい未来へのパスポートが確かに発行された大会でした。
ロンドン2012を翌年に控えて「ここで負けたら話にならない」という国際大会です。
戦前は女子選手の充実ぶりが伝えられましたが、男子もアジア大会で連続銅メダルに輝いた須佐勝明を中心に「あとから思えば…」な豪華な名前がエントリーされました。
しかし、当時もすでに腐敗を極めていた日本ボクシング連盟の許されざる醜態は、この時点ではまだ白日のもとに晒されていません。
既得権益にしがみつく暗愚で理不尽な老人たちが仕切る腐敗連盟から派遣されたにもかかわらず、赤道直下のジャカルタに降り立ったのは、ボクシングファンが誇るにふさわしい史上最強の日の丸部隊でした。
総監督は父親同様にボクシング経験ゼロ!という山根昌守さんという、常識では絶対考えられない最悪最低の布陣。
そんな腐った組織でも、ボクシングが素晴らしいスポーツであることは揺るがしようもない永遠不滅と絶対不変の事実です。
そして、2004年のスマトラ島沖地震から中止が続いていた「大統領カップ」を復活開催にこぎつけたインドネシアに招かれたこの日本代表選手団もまた、この年に見舞われた未曾有の天災に閉塞した母国をあとにして亜熱帯のリングに上がったのです。
本当にいろんな意味で「ここで負けたら話にならない」。
そんな戦いに選手たちは躍動してくれました。
金メダルの期待が大きかった清水聡(ロンドン2012:バンタム級銅メダル)がまさかの初戦敗退、国際的な実績豊富な川内正嗣も準決勝で涙を飲んだ一方、須佐は52kgで優勝するなど金メダル3個、男女合わせたメダル総数は8個に上りました。
須佐の他、2つの金メダルは、なんとなんと国際大会初体験の二人によってもたらされました。
一人は49kg級の相模原青陵高校3年生。当時、まだ17歳!
準決勝の相手は、前年の全日本選手権で敗れた林田太郎を競り落とした中国の強豪ウー・ロングオ。
「不利」の予想通りにポイントでリードを許す苦しい展開でしたが、激しい打ち合いの末に逆転勝ちを収めます。
事実上の決勝戦を制した17歳は、そのままの勢いで国際大会デビューを優勝で飾りました。
帰国後すぐに行われた世界選手権代表選考試合でも、苦手なクロスレンジを徹底的に避けて林田を振り切り、雪辱。日本最強を証明して、代表切符を手にすることになるのです。
そして、もう一つの金メダルは75kg級。世界のミドル級です。
この金メダルは、全試合KO・RSC!と圧巻の内容で、やはり国際大会初体験の東洋大学職員の首にかけられたのです。
知的で温厚で優雅な現在のたたずまいからは想像も出来ませんが、当時は記者からの無神経な取材には苛立ちを隠さない態度で応じていました。
「日本人にミドル級は無理?いつまで同じことゆうとんねん」。
最高です。ずっと、そんなセリフが聞きたかったんです。
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フシ穴の眼
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