2006年の夏、ニューヨーク・フリーポートのプキャナン通りを横切って近くの家のガレージに14歳の少年が忍び込んだ。
そこに吊るされた古いくたびれたエバーラストのサンドバッグに惹きつけられるようにして。
ポンポンと叩くとコンクリートのように硬いのに、なぜだか心地良かった。
サンドバッグをリズミカルに叩いているうちに、夢中になって、我を忘れてしまった。
ボクシングなんて一度もしたことがなかったのに。
夢中になり過ぎて、家の主人に捕まってしまった。
「勝手に人の家に入るなんて泥棒だぞ。二度と来るな」。
しかし、少年がサンドバッグに惹かれただけで、邪な動機でガレージに忍び込んだのではないことに気づいた主人は、次の日からガレージのドアを開けっ放しにしておいた。
少年は次の日も来た。その次の日も。そして、その次の日も。飽きることなく、毎日やって来た。
そしてサンドバッグを叩き続けた。
"You're having too much fun doing this. Time to go to the gym."
「そんなに好きなら、やってみるか?」。
その主人の名はジョー・ヒギンズ。元プロボクサーだった。
少年はハイチからの移民の子で、4人兄弟の末っ子だった。父親は医師、子供の頃にボクシングの経験があった。
しかし、母親は敬虔なクリスチャンでどんな理由であれ人を殴ることを許してくれなかった。
「あなたの息子は学ぼうとしているのです。自分を磨こうと考えているのです」。
ヒギンズと少年は夢に向かってゆっくりと走り出します。
多くの例とは違い、少年は貧困から脱出するためにボクシングを選んだのではなかった。
中流階級出身の少年は「天井から吊るされたサンドバッグ、パンチングボール、グローブにヘッドギア、皮と汗とワセリンの匂い、全部が格好良かった」「それよりももっと格好良かったのがボクサー。二つの拳を操る動きがたまらなかった」と笑います。
「とにかく私もボクサーになりたかったんだ」。
少年は文武両道だった。
ナッソーコミュニティカレッジでは食事・栄誉学を修了。カプラン大学では健康学の学士号まで取得した。
少年は国内タイトルを二つ、ニューヨーク州ゴールデングローブを獲得。2012年のロンドン五輪ではリザーブ選手に選ばれた。
少年はフリーポートの町の模範となる若者に成長した。
「コイツは私の大好きなボクシングでも勉強でも優秀だけど、初めて会ったのは不法侵入して来たガレージだった。最初は泥棒かと思った」と冗談交じりに話すヒギンズの表情はいつも誇らしげだった。
プロ転向後もWBC米大陸、IBF大陸をコレクション。世界ランカーにも入っていた。
今年の8月で、27歳になっていた…。
コメント
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この物語のスタートが14歳ということは、たったの13年前ですよね。ダダシェフといい、あまりにも若い…。
故人のご冥福をお祈りします。
フシ穴の眼
がしました