プロボクシングの世界は矛盾だらけです。

サッカーや野球、テニスにゴルフ…ほとんどのスポーツにも矛盾はあります。

スター選手寄りの判定や、人気選手は多くのチャンスがオーダーメイドの形で与えられるなど、およそどんなスポーツにも不公平は歴然として存在します。

それでも、スポーツのチャンピオンは1人だけ、1チームだけです。

そのたった一つの座を巡って、決められた日時に戦うのが、スポーツです。

しかし、ボクシングの世界ではスター選手や富裕国の選手がホームで戦うのが、たとえ挑戦者であっても当たり前。 しかも、彼らはリングの大きさやキャンバスの硬さ、戦う日程までも自己都合で決めることができます。

ボクシングは階級制が大原則ですが、シュガー・レイ・レナードやフロイド・メイウェザー、カネロ・アルバレス、マニー・パッキャオらは自身が有利となるキャッチウェイトをBサイドの選手に飲ませてリングに上がらせるという大原則を踏みにじるようなことも平気で行ってきました。

サッカーや野球はメジャーだから。ボクシングはマイナーだから仕方がない、という問題ではありません。サッカーの人気チームが、自分たちのスタイルに合わせてゴールの枠を大きくしたり小さくするのと同じことです。 

プロボクシングはチャンピオンが乱立し、ファンが本当は誰が一番強いのかを決めて欲しいと希求しても叶えられないことが当たり前になってしまっている魔界です。

「ミドル級完全統一」を目指してWBAとIBFのベルトをコレクションしたゲンナディ・ゴロフキンは、WBC(ミゲール・コット〜カネロ・アルバレス )とWBO(ビリー・ジョー・サンダース)のベルトが人気者の腰に巻かれていたため、対戦を敬遠されてしまいます。

テニスの四大オープンの準決勝が人気者ロジャー・フェデラーの都合でいきなり大会がストップするなんて許されません。

MLBに挑戦した日本の至宝・大谷翔平が打席を迎えるといつも敗戦処理の投手が出て来て、雑魚投手ばかりから打ちまくって本塁打王になったとしたら、どんなに大谷贔屓のファンでも眉をしかめるでしょう。

それでも、多くのアスリートは不公平に疑問を感じながらも、自分の目の前の敵を叩きのめすことだけに集中することが出来ます。

目の前のハードルをクリアし続ければ、たった一つの王座に辿り着くことが約束されているのです。

しかし、ボクシングの世界にはそんな最低限の常識も通用しません。

カネロはキャッチウェイトという欺瞞でミドル級のリネラル(正統)王者になり、ゴロフキンとの対戦を先延ばししながら適切なマッチメイクで成長、カザフの英雄の劣化を待ちました。

カネロが来月2日に控えるWBOライトヘビー級王者セルゲイ・コバレフ戦も、ロシアのクラッシャーが階級無双状態だった3年前なら対戦交渉することすらなかったでしょう。

日本でも圧倒的な資金力を背景に村田諒太が適切かどうかは疑問が残るものの、安全第一のマッチメイクで、セカンドタイトルとはいえ世界王者を獲得しました。

もし村田と全く同じ実力のボクサーが南米の貧しい国に存在していたとしても「彼」はまだ世界王者になっていなかったかもしれません。

それどころか「彼」には世界挑戦のチャンスすら与えられずに、その虚しいキャリアを閉じてしまうかもしれません。

村田にロンドン五輪決勝で惜敗したエスキバ・ファルカオ(ブラジル)は、そんな生まれついてのBサイドボクサーの典型です。

村田とファルカオには金と銀の違いがあります。アスリートにとって、金以外は銀でも敗者でしかありません。

しかし、ファルカオが不遇に悶えている原因はそれではありません。村田とファルカオの金銀が逆転していても、プロでの扱われ方は何も変わらなかったでしょう。

逆に村田とファルカオの母国が入れ替わっていたら、現在の立場も入れ替わっていたでしょう。 

金と銀。それ以上に遥かに残酷で、どうしようもない絶望的な不公平が2人の間に暗くて深い河となって横たわっているのです。

村田にしても、もし米国人やメキシコ人として五輪ミドル級金メダルを獲っていたなら…米国の大手プロモーションが周到にデザインしたマッチメイクで、現在のように迷いの見えるスタイルとは無縁の〝160ポンドのフォアマン〟が完成していたかもしれません。

そして、欧米で人気がないゆえに、日本国内でプロテクトされているのが軽量級ボクサーです。

この傾向は特に大手ジムのエースと呼ばれる選手に顕著です。

プロテクトされるのだから結構な話ではないか。そう思われるかもしれませんが…。

例えば、ゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)はカネロ・アルバレスを温室で大切に育てながら「特別」な舞台に出す機会を窺っていました。

アルファベット団体のタイトルをコレクションしながら、ビッグネーム、超強豪との対戦のタイミングを計り、カネロの成長を促し、しかるべき刻が来たら大勝負を打って大儲けするためです。

日本でも、プロボクシングである限り「大儲け」が目的であることは変わりません。

しかし、日本での「大勝負」はアルファベット団体の世界タイトルを獲ることで完結してしまいます。そこで防衛戦を重ねたり、複数階級制覇をしながら実入りの良い「世界戦」を繰り返すことが「大儲け」です。

日本では、世界チャンピオンになると 「特別」な来るべき大勝負に備えるのではなく、日本人にベルトを長く保持してもらいたいアルファベット団体が用意した実力が怪しい相手と世界戦を重ねる「特別」ではない〝足踏み〟を繰り返すのです。

そこには、カネロのようなプラスの成長はありません。 あるのは弱い相手と戦ってボクシングが雑になり、時間とともに経年劣化してしまうマイナスの底なし沼です。

カネロと日本の軽量級エース、プロテクトされているのは同じですが目指すゴールが違います。

承認団体が4つもあって、階級は17まで細分化されている現状のボクシング界は「穴王者」と「雑魚挑戦者」の量産工場です。 

「世界に世界王者は一人だけ」だった白井義男やファイティング原田の時代は、非常にわかりやすい時代でした。目の前の一本道を走り抜ければ、栄光のゴールがあったのですから。

現代のボクサーは不幸です。長谷川穂積や内山高志、山中慎介は圧倒的な内容で二桁防衛を飾りました。亀田興毅や八重樫東、長谷川、井上尚弥、田中恒成は三階級制覇を達成しました。

これが30年前なら、全員が殿堂入りしているはずです。しかし、この7人の中から殿堂選手が一人でも産まれるでしょうか? 

もはや、二桁防衛も四階級制覇も「特別」ではなくなってしまったのです。

彼らにつきまとう忌々しい呪文「旬の強豪に勝っていない」 を振り払うのは彼らの責任ではありません。

今のボクサーは原田と違い、目の前の一本道を走るだけでは評価されないのです。

本来なら、目の前の一本道を疾走する先に「特別」な栄光のゴールが待ってくれています。

スター選手の通過階級ジュニアライト級の内山は、いつか訪れるはずのビッグネームとの対決に胸を躍らせながらも11度も防衛を重ねて「次もビッグマッチが成立しなければ、もう何をモチベーションにしていいのかわからない」と嘆きました。

山中は具志堅用高の防衛記録「13」に挑むにあたって「最強挑戦者(ルイス・ネリ)を選んだ」と語りました。「弱い相手に勝って偉大な記録に並ぶのは失礼」とも。

目の前に用意された選手を倒し続けるだけでは、評価されない、「特別」な舞台は用意されない…他のスポーツではありえないことです。

自分から動かなければならない。それも、劣化の足音が聞こえてくる前に。

圧倒的な実力を証明してきた背景があるにせよ、井上は動いています。バンタム級がもっとタレント揃いだったら良かったのですが、それを言い出したらきりがありません。
IMG_2752

WBSS優勝でジュニアフェザーへ上げるか、バンタムにとどまって4団体統一のUndisputed Championを目指すかは未定といいますが、拓真がノルディン・ウーバアリに勝ってWBCを獲得すると、上げるしかなくなります。

兄弟対決は基本NGというのもボクシング独特ですが、これは仕方がありません。家族だけでなく、ファンも積極的に見たいとは思いません。

11月7日の興行はさいたまスーパーアリーナがフルハウスになります。軽量級がメインイベントで2万人の大歓声を浴びるのは、世界的にも特異なことです。

報酬も、そうなるでしょうが1億超えでなければいけません。

今回はWBSS決勝、相手がノニト・ドネアと「特別」な状況ですが、軽量級ボクシングのビッグファイトは日本でしか実現できません。もっともっと、大きなイベントを作っていきたいです。

具志堅用高の時代までは「世界戦」というだけで特別でしたが、そんな時代はとうの昔に通り過ぎました。

ボクシング界もどうしたら「特別」な舞台が作れるのか、一般のスポーツファンを「特別」だと引き寄せるためには何が必要かを考えることが求められています。