プロボクシングの魅力は、勝者と敗者のコントラストの鮮やかさです。

ビートたけしが語るように「勝者がロープに登って歓喜の雄叫びをあげている、その真下で血まみれになってキャンバスに転がされた敗者。こんなスポーツは他には無い」のです。

勝者と敗者のコントラストは、現実のリング上で起きる事象にとどまりません。勝者は敗者から強引に〝遺産相続〟までしてしまうのです。モハメド・アリはジョージ・フォアマンを倒すことで、文字通りのレガシーを強奪し、マニー・パッキャオはオスカー・デラホーヤを打ち負かして、そのレガシーを引き継ぎました。

「ボクシングで勝つということは、相手を踏みにじって上に行くこと。だから責任がともなう。これからは彼の分も戦う」(村田諒太)ことになるのです。

「私が喫した二つの黒星は、私のキャリアにとって深刻な挫折だったし、二つ目は私のキャリアを終わらせた。しかし、この二つの敗北こそが、私のキャリアの勲章だ」(ヘナロ・エルナンデス)。彼が40戦を数える戦績で、負けたのはデラホーヤとフロイド・メイウェザーJr.の2敗だけです。

ボクシングは「誰に勝ったか」が問われるスポーツですが、「誰に負けたのか」もまたコインの裏表なのです。ヘナロのボクシング人生は間違いなく幸せでした。

偉大な相手に負けることは、恥ずかしいことではなく、時間さえ経てば、敗者も納得出来る誇りに昇華します。寺尾新や千里馬哲虎がマニー・パッキャオを語るとき、それは誰の耳にも自慢話にしか聞こえません。

この残酷なスポーツにおける、勝者と敗者のコントラストは、それだけにとどまりません。誇りに昇華する敗北もあれば、そのボクサーにとって生涯の悪夢となる呪縛の1敗もあります。

サッカーや野球の世界での敗北は多くの場合、勝利によって帳消しになります。しかし、ボクシングにおける1敗は、ときとして取り返しがつきません。

ビッグイフですが、フォアマンがアリに負けていなければ、トーマス・ハーンズがシュガー・レイ・レナードとの初戦に勝利していたら、彼らのキャリア、評価、いいえその人生が全く違ったものになっていたでしょう。どんな勝利によっても、けして払拭できない、悪霊のような敗北に、彼らは一生付きまとわれるのです。

頂点を目指して対戦相手を踏みにじり続けてきたフォアマンやハーンズが喫した1敗が自慢話になることは、永遠にありません。けして癒えることがない生々しい宿痾として、いつまでも残るだけです。

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【「隣の芝生は青い」のかもしれませんが、フジテレビよりもESPNの放送の方が、テレビ画面も解説もクールです。】

フォアマンやハーンズですら挫折した峻厳な獣道に足を踏み入れたのが、村田諒太です。彼はすでに1敗はしていますが、幸いなことにこの1敗は、取り返しのつかない悪霊ではありません。

He won the fight and got absolutely robbed. (ESPN:勝ったのは村田、彼は絶対的に勝利を盗まれた)というのが、この1敗の世界的な認識です。

しかし、村田がこの獣道を突き進み、アリやレナードのように頂上に辿り着けるのか、となると楽観的な見方が出来るボクシングファンはいないでしょう。

現在、リング誌で6位、ESPNで9位と着実に世界評価を上げています。「ガードの固さと、右の一撃は階級最高」と評価される一方で、「そのアゴは一度も試されていない。右につなげる左のリードパンチがどこまでのレベルにあるのかもまだ見えない」と未知数の不安を指摘されています。また「これからの対戦相手は、村田の右が最も効果的な距離を潰しにかかるのは間違いない」「クロスレンジでパンチの回転がもとめられるインファイトはおそらく苦手だろう」とも。

ゲンナディ・ゴロフキン、カネロ・アルバレス、ダニエル・ジェイコブス、ジャーマル・チャーロ、セルゲイ・デレビャンチェンコの5人には分が悪いでしょう。

ゴロフキン、チャーロ、デレビャンチェンコは村田のプレッシャーをまともに受けて立つはずです。どちらの火力が上か、ものすごい試合になるでしょう。そして万一、村田が下がる展開を強いられたとき、日本の希望がプランBを披露することが出来るのか。

カネロとジェイコブスは正面衝突は避けて足を使うでしょう。エンダムよりもカネロはずっと速く、ジェイコブスは遥かに高い迎撃力を持っています。村田がカネロを捕まえられるのか、下がりながらも強打を放つジェイコブスを倒せるのか。

もはや、村田に世界10傑の実力が備わっていることに疑問の余地はありません。ボブ・アラムは「来年2月に日本で防衛戦をこなしてから、米国で大きな試合を」と目論んでいるようですが、次の試合がビッグネームとの決戦になったとしても大きな驚きはありません。

スポーツ中継で20%を超える視聴率を叩き出す国民的人気と、ジャパンマネーが背景にあることも考えると、日本に絶対に呼べないのはカネロだけでしょう。この人気者との対決ならT-Mobileアリーナでも、カウボーイズスタジアムでも、どっちでも望むところです。