2017年02月

人間の遺伝子は人種間でほとんど差はない。

そんな科学的事実を知ってもウサイン・ボルトの走りを目の当たりにしてから日本人スプリンターの才能と比べてもほとんど差がないと言い切れる人はいないでしょう。ただ、アフリカの黒人が長距離が速い、ジャマイカや北米の黒人は短距離が速いという帰結には、一つの説得力のある仮説が存在します。遺伝子的にはほとんど変わりがなくても、訓練・選別によってより優れた個体を作ることができるというのです。

まず、エチオピアやケニアの優れた長距離ランナーは例外なく高地で生活し、通学や労働のために1日に何十キロも走ったり歩いたりする有酸素運動を何世代も繰り返してきています。そういう「訓練」を幼い時から毎日休むことなく続けているのです。そして北米の黒人スプリンターは悲しく愚かな歴史の被害者である奴隷の子孫たちです。彼らはアフリカ大陸から強制的に連れ出され、過酷な航海に耐えられる強靭な個体だけがアメリカやジャマイカの港までたどり着くのです。特にジャマイカは奴隷船の終着駅、最も長く最も過酷な航海に耐える肉体がなければ生きて船を降りることはできません。そして蒙昧な奴隷商人は高額で奴隷を取引するために、より強靭な肉体を持つ奴隷の男女を結婚させます。

NHKのBSドキュメンタリー「マイケル・ジョンソン アフリカのルーツをたどる旅」を観た方も多いでしょう。「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?」「黒人はなぜ足が速いのか」などこの問題にアプローチした書籍を読んだ人もいるでしょう。あくまで仮説で、残酷な歴史をほじくり返すことになるため、非常に扱いにくい素材です。

確かに遺伝子的には大きな違いがないから、奴隷船で命がけの航海の果てに生き残った黒人には強靭なパワーはあっても高地で日常的に有酸素運動を行う習慣はないから長距離には向きません。また、高地で有酸素運動を毎日繰り返しているアフリカ人もその生活習慣から非常にスマートな体型になるので瞬発力のパワーは劣ります。実際に、生活環境が向上した現在、米国黒人のスポーツシーンでの存在感はかつてのものではありませんし、同じことが都市部に移住した高地民族にとっても言えます。

しかし、彼らが遺伝子レベルではないものの、個体差のレベルで日本人よりも優れているとは確かに言えるでしょう。

それでも、それだけが原因でしょうか?日本人はどんなに頑張っても100m10秒や、マラソン2時間5分を切ることは不可能なのでしょうか?瀬古や宗兄弟らが世界と互角以上に戦えたのは、ケニア、エチオピアのランナーが本格的にマラソンに取り組んでいなかった時代の恩恵を受けていただけなのでしょうか?きっと、そうではありません。

いつの時代にも「ボルト」というイクスキューズは存在してきました。

カール・ルイスが83年の第1回世界陸上で衝撃的な世界デビューを果たした時、その100メートルの優勝タイムは10秒03でしたが、当時練習を積めばルイスにも勝てるなんて考える日本人指導者は一人もいませんでした。しかし、1999年、伊東浩司は10秒00の日本記録を叩き出します。単純な比較ですが、もし伊東が第1回世界陸上に出場していたらルイスをかわして優勝していたことになるのです。日本人が不得手と考えられている短距離ですら16年後には、実は世界に追い付き、追い抜いていたのです。それなのに1999年から18年間、日本の100mの時計もマラソン同様止まったままです。世界は時代とともに進化しているのに、日本は21世紀に入って成長がピタリと止まってしまっているのです。一体、何が原因なのでしょうか?

個体差レベルでの差はおそらく存在しますが、おそらくそれが20年近くもマラソンと100mの時計が止まったままの最大の原因ではないでしょう。

その答えは世界と戦う、世界で勝つんだという意識の違いだと思います。

マラソンが強かった時代の選手に肩入れしてるように書いてきましたが、彼らもやはり「日本人ではスピードが要求されるトラック競技で世界一になるのは難しい」というイクスキューズからマラソンを選んでいたのです。それが21世紀になるとポール・テルガド、ハイレ・ゲブラシラシエというトラック競技のトップ中のトップがマラソン転向、次々と世界記録を樹立して行ったのですから、その衝撃、絶望感は半端なものではなかったでしょう。せっかく彼らが走るトラックから逃げたのに、そのトラックで常勝のエリートが追いかけてきて、マラソンに侵略の手を伸ばしてきたのですから。

さらに、日本の陸上界の内部からも酷く悪性の膿が沸いてきます。「日本人1位」というアスリートが絶対に考えてはいけないはずの悪魔のフレーズです。どんなアスリートでもやることは一緒、絶対に守らなければいけない共通のルールがあります。「1秒でも速く、一つでも上の順位を目指して走ること」。これは同じ大会にチーターが出てたって同じです。その気持ちを放棄してしまうなら、その時点でもはやアスリート、競技者ではありません。瀬古や宗兄弟はマラソンに可能性を見出し、そこでアスリートを続ける道を選びました。彼らは世界一になるという渇望の炎に全身を焦がしていました。もちろん同じ日本人に負けたくないという気持ちはあったでしょうが、絶対に世界一になる、そのことこそが目標でした。

勝てないんだから、日本代表の選考基準を「日本人1位」にするしかない。選考会で優勝しなけりゃ代表に選ばれないなんて言い出したら、五輪マラソンに日本人が走らないのが当たり前になってしまう。五輪はケニアとエチオピアの選手が何十人も出場できない、最大で3人ずつしか出ることができないから彼らが綺麗に6位までに入っても8位入賞にはあと2枠残されている。優勝争いに敗れたランナーを後方待機戦法で粘り強く一人ずつ抜いていけば8位入賞の可能性もあるし、ケニアやエチオピアの選手がアクシデントで離脱する可能性もある…なに、それっ?て感じです。スタート時点でどんどん離れる先頭集団を眺めながら優勝争いを放棄した8位入賞にどれほどの意味があるのでしょうか。優勝争いから脱落して、姑息な後方待機の日本人に抜かれた勇気あるランナーは負けたと思うでしょうか。それとも、ああ素晴らしい作戦だと潔く負けを認めるでしょうか。

選手には何の罪もないことですが、これだけマラソン人気が高い国です。ロス五輪は日本時間で早朝スタートにもかかわらず50%以上の視聴率を記録しました。シドニーの女子マラソンもやはり50%以上の視聴率を叩き出しました。日本人マラソンランナーが世界をねじ伏せる瞬間をみんなが見たいんです。東京五輪まで、残された時間は少ないかもしれませんが、アスリートらしい勇気あふれる走りを見せて下さい。

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東京マラソンで国内最高記録が出ました。ウィルソン・キプサング(ケニア)が自身4度目の2時間3分台となる2時間3分57秒でフィニッシュ。日本人トップは8位に入った井上大仁が2時間8分22秒。世界記録ペースで進む序盤で日本人は脱落、勝負に参加しないままに終わった結果は、4分25秒という世界との差をより残酷に突き付けられました。今の国際大会で日本人選手はどんな惨敗を喫しても「悔しい」とは思えないほどに、文字通り世界の背中は遥か彼方に遠ざかってしまっているのです。

現在、世界で戦える最低ラインと言われるのが2時間5分を切ること。高岡寿成が2時間6分16秒でベルリンを駆け抜けたのが2002年ですから、もう15年も日本記録の時計は止まったままです。2時間5分の最低ラインを切る記録を持つランナーは2時間2分57秒の世界記録を持つデニス・キメット(ケニア)を筆頭に世界に30人余りいますが、全員がケニアとエチオピア出身の黒人選手です。高岡の時代、世界記録はモロッコのハリド・ハヌーシが持っていた2時間5分38秒で世界との差はたった38秒、その背中が約200メートル先にはっきり見えていたのです。

今回の井上の記録を高岡と同じく世界最高記録と比較すると5分25秒差、2キロ近い差をつけられていることになります。20世紀半ばから世界のマラソンシーンで優勝争いを展開してきた日本人選手はどうしてその舞台から引き摺り下ろされてしまったのでしょうか?

日本男子マラソンの全盛期、1970年代末から80年代前半はファンにとって最高に贅沢な時間が流れていました。世界記録はデレク・クレイトン(豪州)が1969年に打ち立てた驚異の2時間8分33秒、この大記録には長らく誰も近づけませんでしたが、1978年の別府大分マラソンで宗茂が2時間9分5秒の世界歴代2位でゴール、モスクワ五輪の優勝候補に名乗りを挙げました。そしてその年の福岡国際マラソン。

世界陸上がなかった当時、この大会が事実上の世界選手権でクレイトンをはじめフランク・ショーター、ビル・ロジャースら正真正銘のトップランナーがハイレベルでしのぎを削ってきました。さすがに世界最高の舞台、日本人は優勝争いに絡みはしても1970年の宇佐美彰朗が月桂冠をかぶって以来、7年間も優勝から遠ざかっていました。この年もロジャースやモントリーオール五輪で金メダルを獲得、その後モスクワ五輪も勝ってアベベ以来のマラソン2連覇を成し遂げるワルデマル・チェルピンスキーら超のつく強豪が世界最強の座を求めて福岡入り。それでも宗茂、猛とスピードのある喜多秀樹が8年ぶりにタイトルを日本に取り戻してくれると、誰もが期待していました。

レースは期待以上の結果になります。日本人が表彰台を独占したのですから!しかもその真ん中に立った優勝選手は宗茂(3位)でも喜多(2位)でもなく、まだ早大3年生という驚愕の日曜日に日本中が酔いしれました。この日から高岡の21世紀初めまで日本マラソンは世界のフロントランナーであり続けました。

では、当時と今では何が違うのか?確かに高速化が進みました。そして、世界のトップの顔ぶれも20世紀は米国のショーターやロジャース、東ドイツのチェルピンスキー、豪州のクレイトン、ロバート・ド・キャステラ、ポルトガルのカルロス・ロペス、英国のスティーブ・ジョーンズ、ブラジルのダ・コスタ、韓国の黄永祚…そして日本でも世界で戦えるランナーが続々生まれます。宗兄弟、瀬古、中山竹通、谷口浩美、児玉泰介、森下広一、藤田敦史、犬伏孝行、高岡寿成…。しかし、20世紀にはあれほど国際色豊かだった世界の舞台は、21世紀になるとわずか2カ国に独占されるのです。

ここで、タイトルの問題提起です。黒人は身体能力に秀でているから、100mやマラソンなどプリミティブな運動能力を競うスポーツでは黄色人種や白人は太刀打ちできないのでしょうか?小出義雄監督が言うように「オギャーって産まれた時から骨格が違うから、まともにやってたらかなわない」のでしょうか。

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無敗のウエルター級王者が激突する史上3度目の統一戦。過去の2度を振り返ると…。

ドナルド・カリー対ミルトン・マクローリーのゴングが鳴らされたのは、1985年12月6日ラスベガスはヒルトンホテル。同じ年の4月15日やはりベガスのシーザースパレスでミドル級のマービン・ハグラーがトーマス・ハーンズを衝撃的な3ラウンドKOで屠り、全階級を通じて最高のボクサーとして頂点に立ったものの、その無骨な戦い方と愛想の無さからヒールのイメージを拭い去れずにいました。世界が求めていたのは、ただ強いだけのハグラーではなく、モハメド・アリからシュガー・レイ・レナードへと禅譲された華麗なヒーローの後継者でした。アリからレナードへ繋がれたヒーローの座は、レナードが眼疾のために引退を余儀なくされたことで空位のままでしたが、そこにハグラーが腰掛けることに嫌悪感を抱くファンもいました。

ひとたびリングに上がると、コブラの猛毒のような一閃の右カウンターで相手を沈めるWBA王者カリーは、普段は謙虚で恥ずかしがり屋、ウォールストリートジャーナルを購読する勤勉な一面も持ち合わせる、誰もが空位の玉座にふさわしいと感じていた好青年でした。一方のWBC王者マクローリーもクロンクジムでエマヌエル・スチュワートの薫陶を受けた長身強打のスラッガーでしたが、戦前からどちらが主役かは誰の目にも明らかでした。この時、カリーが24歳、23勝18KO無敗。マクローリーは23歳、27勝22KO無敗、1分。最も層が厚く、それゆえレベルも高いウエルター級で WBAと WBCの2団体しかなかった当時の統一戦は、パウンド・フォー・パウンド(PFP=全階級通じて最高のボクサー)決定戦と言っても過言ではありませんでしたが、PFP1位には驚くほど強いあの男が君臨していました。この試合の勝者が、レナードの後継者となりハグラーを打ち破る、そしてその勝者はカリーでなければならないーボクシングファンが描いた夢の青写真です。

オッズ、戦前の予想はわずかにカリーに傾いていましたが、二人の実力差は小さいと考えられていました。しかし、試合が始まると誰もが速い決着を予感します。カウンターパンチャーのカリーがプレッシャーをかけ、マクローリーが後退を強いられる予想外の展開。2ラウンド、カリーが強烈な左フックで最初のダウンを奪って勝負あり。何とか立ち上がったマクローリーには、猛毒をふんだんに仕込んだカリーの右ストレートはもはや見えませんでした。圧倒的な実力差を見せてレナード以来初めてウエルター級を統一したカリーはリング上で「マクローリーの左ジャブが予想以上に遅かったから簡単にカウンターを返すことが出来た」と淡々と答えましたが、その声は会場に湧き上がる大歓声でもみ消されてしまうほどでした。

マクローリーの左ジャブ。レナードやハグラーですら手を焼いたクロンクジムの先輩ハーンズ仕込みの超速のフリッカージャブにはカリーでも苦しめられると予想した多くの専門家もそのインタビューを聞いて「マーベラス」と驚き、ハグラーと戦う資格があると認めました。しかし、ハグラーとの最終決戦のゴングはついに鳴らされることなく、カリーは手痛い挫折を重ねながら表舞台からフェイドアウトしてしまうのですが、それはまた別の話。


1986年のリング誌PFP(85年の結果を反映したもの) リング誌:2017年4月号から

カリー対マクローリーから15年後の1999年9月18日ベガスのマンダレイベイホテルで、WBC王者オスカー・デラホーヤとIBF王者フェリックス・トリニダードが激突しました。この時、デラホーヤは31戦25KO無敗、対するトリニダードは35勝30KO無敗。年齢はともに26歳。全盛期のスーパースター二人の激突はFIGHT OF THE MILLENNIUM(1000年に一度の対決)と銘打たれ、ボブ・アラムとドン・キングの代理戦争としても両陣営の舌戦がヒートアップ、注目度ではカリー対マクローリーを上回るものでした。現地ラスベガスのブックメーカーのオッズはデラホーヤ有利ながらも限りなく1対1に接近、専門家の予想も真っ二つ。全米ボクシング記者会からも何度も表彰され世界屈指のカメラマンとして大活躍している福田直樹氏もボクシングマガジンに寄せた展望記事で「予想の極めて難しいカード」と認め「試合がノックアウトで決まることだけは間違いない」と見ていました。しかし現実の試合は、自己採点でリードを確信したデラホーヤが10ラウンドから消極的な逃げ切り体勢に入り、凄まじいブーイングが巻き起こる中、まさかの判定決着に。結果は2−0のマジョリティデジションでトリニダードの手が挙げられました。互角の対決と見られていた通りの僅差の試合と言えばそれまでですが、五輪金メダリストから鳴り物入りでプロ転向、スター街道を順調に走り続けていたでラホヤにはこの一戦でも1500万ドル約16億円がペイパービュー歩合を除いて最低保障されていました。ゴールデンボーイは、26歳の若さで勇気の橋を目の前にして逡巡してしまうほど老成していたのかもしれません。

多くの専門家がKO決着を予想した中で、一人のトレーナーの的確な予想が目を引きました。「両者の技術と経験にはほとんど差がない。明確な決着は付かないが、守りに入った方が負けるだろう。それは、より守るものが多いデラホーヤになる可能性が高い」。そして、この試合の約1年後にこの名伯楽が主宰するワイルドカード・ボクシングジムの扉を小さなフィリピン人がノックします。当時アメリカでは全く無名だったこのフィリピン人こそが、デラホーヤの紡いだ物語の最終章にあまりにも鮮烈なピリオドを打ち込むことになるのです。

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大試合ではいつもアンダードッグ扱いを受けてきたガルシアに対して、サーマンはこれまでのキャリアで不利のオッズや予想を立てられたことがありません。これはガルシアが殿堂入り確実のレジェンド、モラレスを筆頭に、カーンやマティセというスピードとパワーそれぞれでは全階級を通じて屈指とみられた名のある強豪と拳を交えた結果です。かつてのウエルター級統一王者のジュダーも破っているガルシアの対戦相手と比べると、確かにサーマンの戦譜は地味に映ります。

そうは言っても昨年破ったのショーン・ポーターは旬を迎えている強豪で、サーマンのキャリアで最も大きな白星でした。彼が勝ってきたカルロス・キンタナ、ディエゴ・チャベス、ヘスス・ソト・カラス、レオナルド・ブンドゥ、ロバート・ゲレロ、ルイス・コラーゾらは殿堂入りはありえない、階級最強とも考えられない選手ですが、誰にとっても簡単な相手ではなく、ウエルター級のコンテンダーにふさわしい名前ばかりです。

また、2012年11月24日に4ラウンドTKOで圧勝したキンタナからは、ウエルターの一つ上の階級であるNABOのスーパーウエルター級のタイトルを奪取しています。キンタナは、当時PFP上位に進出してあのメイウエザーも対戦を避けていると言われたポール・ウィリアムスから疑惑の判定とはいえ大番狂わせでWBOウエルター級王座を獲得、その生涯で負けた4戦はいずれも世界戦、相手はミゲール・コット、ウィリアムス(再戦)、アンドレ・ベルト、そしてサーマン。特質すべきはこの4人がいずれも全盛期を迎えた当時無敗のスーパースター候補だったことです。

そんなキンタナがスーパーウエルター級に上げたところでサーマンが粉砕、引退に追い込みんだのです。そのあと階級をウエルターに戻して暫定ながら WBA世界王者になったサーマンはロバート・ゲレロを振り切って正規王者に昇格します。

さて、このロバート・ゲレロ。どこが強いのかよく分からない非常にユニークな選手です。

日本の粟生隆寛から WBCスーパーフェザー級のタイトルを奪い、初防衛戦で三浦隆司にTKOで敗れたガマリエル・ディアスに2005年フェザー級の北米タイトルを懸けて戦い負けてるんです。ウエルター級では亀海喜寛とも激戦を展開しました。

もともとはフェザー級でIBFのタイトルを獲得、2009年にやはりIBFのスーパーフェザー級王者になって2階級制覇、さらに2011年には絶対不利の予想を覆してマイケル・カツディスを判定で下し、2団体とも暫定ながらWBAとWBOのライト級世界王者となり3階級制覇に成功。

しかし「カツディス以外は名前のある選手はいない」「世界レベルの舞台で圧倒的なパフォーマンスで勝ったことがなくいつも接戦」という貧弱なキャリアで3階級制覇するという不思議。

誰もが運のいい選手だと思っていましたが、さらに1階級を飛ばして最もレベルの高いタレント揃いのウエルター級へ上げ、しかもいきなりWBCの暫定王座を懸けて当時無敵の快進撃を続けていたトルコの強打者セルジュク・アイディンと戦うと表明した時は誰もが冗談だと思いました。そして、このアイディンを判定で下してても、初防衛戦の相手がベルトに決まると誰もが「今度こそ年貢の納め時」と確信しました。しかし、そのベルトも激闘の末に退け、ウエルター級の頂点にたつ、その対決を誰もが熱望する世界一の報酬が約束される男の名前をリング上で叫ぶのです。「私のボクシングは誰にも崩すことは出来ない。そう、誰でも、だ。その中にはもちろんフロイドも入っている!」。さすがにメイウエザーには子供扱いされましたが、それでも何の取り柄もないと思われたフェザー級が、世界のテッペンの景色を拝む場所まで登り詰めたのです。

このゲレロがサーマンともガルシアとも拳を交えており、両者の対決を占うリトマス紙になりうるかもしれません。

2015年3月14日のサーマン戦では9ラウンドに痛烈なダウンを奪われ120−107、118−108、118−109の大差判定負け、2016年1月23日のガルシア戦は3人のジャッジが112ー116の中差判定、とゲレロを通して見るとサーマンのパワーがガルシアを押し切る予想ができそうです。

しかし、ボクシングには単純な三段論法は成り立ちにくいスポーツでもあります。いみじくもゲレロが好んで使うボクシング界の格言「スタイル(相性)が勝敗を決める」となるとサーマン有利の大方の予想は鵜呑みにできないかもしれません。

次回はその相性も含めて両者の戦力を詳しく比較してみます。

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サーマン対ガルシアの第3弾です。

昨年世界中に惜しまれて天国へと旅立ったモハメド・アリがリングを去ってからボクシングの中心階級はヘビー級から中量級、とりわけウエルター級へとシフトして約40年が経とうとしています。ボクシングの盛んなアメリカでヒスパニックの人口・存在感が大きくなったことが、彼らの体格に近いより軽い階級への注目度が上がった、鈍重なヘビー級よりもスピードとパワーが最も高い水準で結晶する中量級の人気が高まった…。こういう分析をよく聞きますが、それらはボクシング業界の醜い言い訳でしかありません。

この40年でボクシング業界に起きたことは承認団体と階級の増殖による「世界王者の粗製乱造」です。サッカーなら FIFA、男子テニスならATPが統括しW杯や4大大会を頂点とする試合を管理、世界ランキングも発表しています。サッカー日本代表の52位、錦織圭の5位は正確にその実力を表した数字ではないかもしれませんが、公平なポイント制によって決められたランキングで多くのファンが納得できるものでしょう。しかし、FIFAやATPのような統括団体が存在せず、アルファベットをいたずらに組み合わせただけのFIFOやCTPみたいな怪しい承認団体があちこちに出現して独自にランキングを作成、世界タイトルマッチを組んで自分たちのアルファベットを冠した世界王者をネズミ算のように生み出していくとしたら?誰が本当に一番強いのかがわからないプロスポーツが理解、評価されるわけがありません。

もちろん、選手に罪はありません。日本が誇る左強打の山中慎介も、ローマン・ゴンザレスにも勝てると期待がかかる井上尚弥もWBC、WBOが承認した「世界王者」に過ぎません。さらに個々の承認団体の中でも、暫定王者、スーパー王者、名誉王者などが、ガン細胞のように増殖しています。また、アメリカのビッグファイトは PPV(試合番組を購入して視聴する)で放映されることが多く、その金額は安いもので20ドル、上はメイウエザー対パッキャオの約100ドルまで幅広いとはいえ、軽い興味を持った潜在的なファンが買うことはまずないでしょう。「誰が最強がわからない魑魅魍魎の世界」「軽い気持ちで観るには垣根が高い」という分厚く高い壁が、ボクシングに興味を持つかもしれない一般のスポーツファンを遠ざけ、マニアが支持するだけのニッチのスポーツに貶めているのです。

今回のサーマン対ガルシアもWBAとWBCの統一戦ですが、IBFのケル・ブルック、WBOのマニー・パッキャオと主要団体だけでも二人が世界王者の看板を掲げています。それでも、2階級上の絶対王者ゲンナディ・ゴロフキン相手とはいえ手酷い1敗を喫したブルック、6敗という数字ではなく心身ともにプライムタイムは遠い昔のパッキャオとは違い、サーマンとガルシアは未だ無敗でともに28歳の若さ。この決戦の勝者が少なくともウエルター級最強「と目される」という表現には異論はないでしょう。アメリカのメディアでも1985年のドナルド・カリー対ミルトン・マクローリー、1999年のオスカー・デラホーヤ対フェリックス・トリニダードの系譜に連なる史上3度目の無敗のウエルター級王者同士の統一戦と喧伝しています。また、無敗対決ではなかったもののウエルター級はもとよりボクシング史上最高の試合と賞賛されることもある1981年のシュガー・レイ・レナード対トーマス・ハーンズもウエルター級の統一戦と聞いてすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。

サーマン対ガルシア。塩気の多い凡戦にならないことを祈りつつ、次回に続きます。


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1985年のカリーは、圧倒的な実力差を見せつけてライバル王者を撃ち落としただけでなく、PFP1位のハグラーへの挑戦資格を賭けたテストにも満点回答しました。1999年のデラホーヤは戦前の盛り上がりが虚しくなるような消化不良の戦いぶりに失望されました。

さて、2017年のサーマン対ガルシアは?


リング誌:2013年12月号

多くの予想で不利とされているガルシアに焦点を当ててみます。リング誌2013年12月号が番狂わせでルーカス・マティセを撃破したガルシアを特集、カバーでは「ダニー・ガルシアは試合と小賢しい批判の両方に打ち勝つ術を知っている」。特集記事のタイトルはNO MORE BOUBTS!(これ以上疑うな!)。そう彼はビッグファイトでは常にアンダードッグ扱いを受けてきました。しかし、専門家やファンの過小評価が間違っていることを常に証明してきました。このリング誌は3年以上前のものですが、その時すでに「ガルシアは過小評価、本物の王者」と見直されているのに、サーマン相手にまたもや不利予想。これにはウエルター級に上げてからの戦いぶりには傑出したものが無いことも大きいでしょう。リング誌の表紙を初めて飾ったこの時から3年が経ちますが、2度目のカバーが無いこともその事実を如実に表していると言えそうです。

この特集記事を拙い訳ですが、まとめてみました。

***9月14日のマティセ戦を3週間後に控えていたガルシアの父でトレーナーのアンヘルは汚い言葉で怒りをぶちまけて、リング誌の最新9月号を引き裂いた。雑誌は「アルゼンチンの強打が新時代をリードする」とマティセの大特集が組まれていた。「ダニーはWBAとWBCの王者で、リング誌でも公認の世界王者じゃないか!マティセには何の実績もないじゃないか!それなのにリング誌はマティセを表紙に特集して、ダニーを表紙に載せたことはただの一度もないなんて!」。「俺たちはアミール・カーンを強烈にノックアウトして、生きる伝説のエリック・モラレスに2度も圧勝した。それなのに俺たちが挑戦者扱いか?挑戦者はマティセの方なのに!」。ダニー・ガルシアが最後に負けたのは北京オリンピックの選考会で、当時はまだ10代。それからはずっと勝ち続けているのに否定的な評価に付きまとわれるダニーは「マティセとの試合についてみんながどう予想してるかはネットや新聞、雑誌を見て知っている。根拠のない不当な評価を受けることは初めてじゃないから慣れっこさ。むしろ好きだな、俺は。間違った予想を語る奴らに大恥をかかすことが出来るんだから。プロモーターにだって何を言われようが関係ない。俺は自分の仕事をするだけ、勝ち続けるだけさ」と意に介していない。

ガルシアをプロモートするのは、あのオスカー・デラホーヤ。2009年にファン・マヌエル・マルケス対ファン・ディアスの前座で判定勝ちしたガルシアのドレッシングルームでデラホーヤは「あの程度の相手はKOしなけりゃダメだ」と説教を始めた。デラホーヤが部屋を出て行くと、ガルシア親子は顔を見合わして吐き捨てた。「俺たちは試合に負けたのか?」。それからもガルシアは破竹の勢いで世界王者になり、モラレスやカーン、ジュダーらビッグネームを蹴散らして、マティセに対しても明白な勝利を収める。そして、この試合はフロイド・メイウエザー対カネロ・アルバレスのセミファイナルとして組まれ、強烈な印象を残したダニーはメイウエザーの有力な対戦候補に挙がっている。「メイウエザー?素晴らしい。こんなチャンスは滅多にないからね。あんた達は『もう負け犬扱いしない』と約束してくれたばかりだけど…メイウエザー戦でもその約束は守ってくれるんだろうな?…(言葉を返せない報道陣に)構わないさ、アンダードッグは慣れっこさ。あんた達が嘘をつくのに慣れているようにね。これからもこの関係を続けていこうや」。***

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さて、ニューヨーク3月4日、日本では3月5日に迫ったサーマン対ガルシア。両者の戦力比較を「数字」に絞って見ていきましょう。

まずは、年齢。これは二人とも奇しくも28歳で同じです。ボクサーとしてはいい年齢ですね。これからがプライムタイムです。

次に「プロでの戦績」。サーマンが27勝無敗22KO。ガルシアも33勝無敗19KO。ウエルター級の強豪が無敗で世界戦のリングに上がることは何度かありましたが、これが「統一戦」となると歴史上でも過去2度しかありません。1985年のドナルド・カリー対ミルトン・マクローリー、1999年のフェリックス・トリニダード対オスカー・デラホーヤに続く、史上3度目の決戦です。過去2度しかなかったというと希少価値がありそうですが、80年代中盤から増殖を続けた承認団体の乱立がもたらした、仇花と言っても良いでしょう。しかし悲しいかな、毒を食らわば皿までの精神で、仇花でも楽しく酔って花見できちゃうのが病的なボクシングヲタクの性分なのです。統一戦ではなかったものの、ウィルフレド・ベニテス対シュガー・レイ・レナードも無敗対決でしたが、あれは正真正銘、仇花などではなかったですね。

「アマチュア時代の戦績」を振り返るとサーマンが101勝16敗、ガルシアが約120戦をこなしていますが、二人とも五輪や世界選手権といったビッグタイトルとは無縁でした。アマ時代の主戦場は、サーマンがウエルター、ガルシアがライトと、やはりサーマンが上の階級で戦っていました。ちなみにプロのウエルターは約66キロ、ライトは約61キロと5キロ差ですが、アマはウエルター69キロでライト60キロでその差9キロとかなりの開きがあります。プロでの階級差に加えて、こうしたアマ時代の背景も「サーマンが体格で上回る」という見方に偏る大きな理由になっています。

次は、プロでの「世界王者経験者との対戦」ですが、こちらはガルシアが11度で、サーマンの8度を上回ります。その相手もガルシアがメキシコの伝説、エリック・モラレスを2度撃破している他にも、圧倒的スピードを誇るアミール・カーンや、パワーパンチャーのルーカス・マティセといった一芸に秀でたスター選手も蹴散らしてきました。ピークは過ぎたとはいえ、あのザブ・ジュダーも打ちのめしました。一方のサーマンはショーン・ポーターとの激戦を僅差の判定で制したのが最大の勝利でしょう。

そして、前回もふれましたが、リング誌の2016年のパウンド・フォー・パウンドではガルシア16位で、サーマン17位。

数字的には「体格のサーマン」「実績のガルシア」ですが、階級制のボクシングでは古くから「優秀なライトヘビー級は凡庸なヘビー級に駆逐される」と言われるように、今回もサーマンが有利と見られているようですが、果たして?

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3月4日、ニューヨーク、ブルックリンのバークレイズセンターで行われる世界ウエルター級統一戦。キース・サーマンの持つWBAとダニー・ガルシアのWBCのタイトルがかけられます。
この試合が注目される理由は幾つかありますが、①全階級を通じて最もタレントが揃うウエルター級の最強決定戦、②無敗の快進撃を続けるまさに今が旬のファイターの激突、という二点に集約されます。

ウエルター級最強決定戦という視点からは、両者のファイトマネー合計が約360億円という2015年のフロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオの一戦と比べると、今回のサーマンとガルシアはそれぞれ約2億円とそれなりに莫大な報酬ですが、比較してしまうと見劣りするとかいうレベルではありません。しかし、メイウェザー対パッキャオが世界中のボクシングファンから熱望されながら8年近くも対戦が実現せず、その間に二人とも全盛期は過ぎ、特にパッキャオはティモシー・ブラッドリー、ファン・マヌエル・マルケスに連敗するなど、焦らしに焦らされた挙句に実現した峠を越えた超ビッグネーム対決という看板だけが過剰に豪華なだけで旬のスーパースターが激突するという最も興奮する構図ではありえませんでした。試合内容も、期待を裏切ったという点では間違いなくボクシング史上最悪の部類に入る凡戦に終わりました。

プロボクシングは単純に技術の高さを競うだけの舞台ではありません。

誤解を招く表現になりますが、野球やサッカーが売る物は高度な技術です。洗練されたプレーには惜しみない拍手が送られ、技術の追求の先に報酬も付いてきます。しかし、プロボクシングは違います。一定レベルの高度な技術は最低条件ですが、それが報酬に正比例するとは限りません。ファイターの売る物は技術と、勇気です。どんなに優れた技術をリング上で披露しても、それに勇気が伴わない場合は容赦ないブーイングが浴びせられます。メイウェザー対パッキャオは技術的にはとんでもなく高度な試合でしたが、二人の戦い方には勇気のカケラも感じられませんでした。既に十分過ぎる名声を得て、ニューヨーク・ヤンキースの全選手の年俸合計をも遥かに上回る報酬が約束されていた二人にとって、危険と同義語である勇気の橋を渡る理由などどこにもないのですから、世紀の凡戦は当然の帰結でした。

さて、サーマンとガルシア。好戦的なスタイルで、何よりも確固たる名声はまだ得ていない二人です。そう、この二人には勇気の橋を渡るらなければいけない理由があるのです。

さて、戦前の予想ですが世界最大のブックメーカー、ウィリアム・ヒルは約3−1でサーマン有利のオッズ、多くの専門家やファンもサーマンの勝利を予想しています。その主な根拠は「下の階級から上がってきたガルシアよりも体格で上回るナチュラルなウエルター級のサーマンが勝つ」というものです。

しかし、米国のリング誌の全階級を通じたランキング(パウンド・フォー・パウンド)ではガルシア16位、サーマン17位と、拮抗はしてるもののガルシアの評価の方が高いんです。もちろん、パウンド・フォー・パウンドは現実の直接対決ではなく、今回の勝敗予想の根拠である「体格差」を無視した評価なのですが。

それでも、身長だけなら174センチのガルシアがサーマンを3センチ上回ってるなど、見た目の体格差は、多くのファンが思っているよりも小さいかもしれません。また、ガルシアはアンダードッグに貶められたオッズをこれまでに何度もひっくり返して来ました。。。。詳細な直前予想は、また次回に。

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