人間の遺伝子は人種間でほとんど差はない。
そんな科学的事実を知ってもウサイン・ボルトの走りを目の当たりにしてから日本人スプリンターの才能と比べてもほとんど差がないと言い切れる人はいないでしょう。ただ、アフリカの黒人が長距離が速い、ジャマイカや北米の黒人は短距離が速いという帰結には、一つの説得力のある仮説が存在します。遺伝子的にはほとんど変わりがなくても、訓練・選別によってより優れた個体を作ることができるというのです。
まず、エチオピアやケニアの優れた長距離ランナーは例外なく高地で生活し、通学や労働のために1日に何十キロも走ったり歩いたりする有酸素運動を何世代も繰り返してきています。そういう「訓練」を幼い時から毎日休むことなく続けているのです。そして北米の黒人スプリンターは悲しく愚かな歴史の被害者である奴隷の子孫たちです。彼らはアフリカ大陸から強制的に連れ出され、過酷な航海に耐えられる強靭な個体だけがアメリカやジャマイカの港までたどり着くのです。特にジャマイカは奴隷船の終着駅、最も長く最も過酷な航海に耐える肉体がなければ生きて船を降りることはできません。そして蒙昧な奴隷商人は高額で奴隷を取引するために、より強靭な肉体を持つ奴隷の男女を結婚させます。
NHKのBSドキュメンタリー「マイケル・ジョンソン アフリカのルーツをたどる旅」を観た方も多いでしょう。「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?」「黒人はなぜ足が速いのか」などこの問題にアプローチした書籍を読んだ人もいるでしょう。あくまで仮説で、残酷な歴史をほじくり返すことになるため、非常に扱いにくい素材です。
確かに遺伝子的には大きな違いがないから、奴隷船で命がけの航海の果てに生き残った黒人には強靭なパワーはあっても高地で日常的に有酸素運動を行う習慣はないから長距離には向きません。また、高地で有酸素運動を毎日繰り返しているアフリカ人もその生活習慣から非常にスマートな体型になるので瞬発力のパワーは劣ります。実際に、生活環境が向上した現在、米国黒人のスポーツシーンでの存在感はかつてのものではありませんし、同じことが都市部に移住した高地民族にとっても言えます。
しかし、彼らが遺伝子レベルではないものの、個体差のレベルで日本人よりも優れているとは確かに言えるでしょう。
それでも、それだけが原因でしょうか?日本人はどんなに頑張っても100m10秒や、マラソン2時間5分を切ることは不可能なのでしょうか?瀬古や宗兄弟らが世界と互角以上に戦えたのは、ケニア、エチオピアのランナーが本格的にマラソンに取り組んでいなかった時代の恩恵を受けていただけなのでしょうか?きっと、そうではありません。
いつの時代にも「ボルト」というイクスキューズは存在してきました。
カール・ルイスが83年の第1回世界陸上で衝撃的な世界デビューを果たした時、その100メートルの優勝タイムは10秒03でしたが、当時練習を積めばルイスにも勝てるなんて考える日本人指導者は一人もいませんでした。しかし、1999年、伊東浩司は10秒00の日本記録を叩き出します。単純な比較ですが、もし伊東が第1回世界陸上に出場していたらルイスをかわして優勝していたことになるのです。日本人が不得手と考えられている短距離ですら16年後には、実は世界に追い付き、追い抜いていたのです。それなのに1999年から18年間、日本の100mの時計もマラソン同様止まったままです。世界は時代とともに進化しているのに、日本は21世紀に入って成長がピタリと止まってしまっているのです。一体、何が原因なのでしょうか?
個体差レベルでの差はおそらく存在しますが、おそらくそれが20年近くもマラソンと100mの時計が止まったままの最大の原因ではないでしょう。
その答えは世界と戦う、世界で勝つんだという意識の違いだと思います。
マラソンが強かった時代の選手に肩入れしてるように書いてきましたが、彼らもやはり「日本人ではスピードが要求されるトラック競技で世界一になるのは難しい」というイクスキューズからマラソンを選んでいたのです。それが21世紀になるとポール・テルガド、ハイレ・ゲブラシラシエというトラック競技のトップ中のトップがマラソン転向、次々と世界記録を樹立して行ったのですから、その衝撃、絶望感は半端なものではなかったでしょう。せっかく彼らが走るトラックから逃げたのに、そのトラックで常勝のエリートが追いかけてきて、マラソンに侵略の手を伸ばしてきたのですから。
さらに、日本の陸上界の内部からも酷く悪性の膿が沸いてきます。「日本人1位」というアスリートが絶対に考えてはいけないはずの悪魔のフレーズです。どんなアスリートでもやることは一緒、絶対に守らなければいけない共通のルールがあります。「1秒でも速く、一つでも上の順位を目指して走ること」。これは同じ大会にチーターが出てたって同じです。その気持ちを放棄してしまうなら、その時点でもはやアスリート、競技者ではありません。瀬古や宗兄弟はマラソンに可能性を見出し、そこでアスリートを続ける道を選びました。彼らは世界一になるという渇望の炎に全身を焦がしていました。もちろん同じ日本人に負けたくないという気持ちはあったでしょうが、絶対に世界一になる、そのことこそが目標でした。
勝てないんだから、日本代表の選考基準を「日本人1位」にするしかない。選考会で優勝しなけりゃ代表に選ばれないなんて言い出したら、五輪マラソンに日本人が走らないのが当たり前になってしまう。五輪はケニアとエチオピアの選手が何十人も出場できない、最大で3人ずつしか出ることができないから彼らが綺麗に6位までに入っても8位入賞にはあと2枠残されている。優勝争いに敗れたランナーを後方待機戦法で粘り強く一人ずつ抜いていけば8位入賞の可能性もあるし、ケニアやエチオピアの選手がアクシデントで離脱する可能性もある…なに、それっ?て感じです。スタート時点でどんどん離れる先頭集団を眺めながら優勝争いを放棄した8位入賞にどれほどの意味があるのでしょうか。優勝争いから脱落して、姑息な後方待機の日本人に抜かれた勇気あるランナーは負けたと思うでしょうか。それとも、ああ素晴らしい作戦だと潔く負けを認めるでしょうか。
選手には何の罪もないことですが、これだけマラソン人気が高い国です。ロス五輪は日本時間で早朝スタートにもかかわらず50%以上の視聴率を記録しました。シドニーの女子マラソンもやはり50%以上の視聴率を叩き出しました。日本人マラソンランナーが世界をねじ伏せる瞬間をみんなが見たいんです。東京五輪まで、残された時間は少ないかもしれませんが、アスリートらしい勇気あふれる走りを見せて下さい。
そんな科学的事実を知ってもウサイン・ボルトの走りを目の当たりにしてから日本人スプリンターの才能と比べてもほとんど差がないと言い切れる人はいないでしょう。ただ、アフリカの黒人が長距離が速い、ジャマイカや北米の黒人は短距離が速いという帰結には、一つの説得力のある仮説が存在します。遺伝子的にはほとんど変わりがなくても、訓練・選別によってより優れた個体を作ることができるというのです。
まず、エチオピアやケニアの優れた長距離ランナーは例外なく高地で生活し、通学や労働のために1日に何十キロも走ったり歩いたりする有酸素運動を何世代も繰り返してきています。そういう「訓練」を幼い時から毎日休むことなく続けているのです。そして北米の黒人スプリンターは悲しく愚かな歴史の被害者である奴隷の子孫たちです。彼らはアフリカ大陸から強制的に連れ出され、過酷な航海に耐えられる強靭な個体だけがアメリカやジャマイカの港までたどり着くのです。特にジャマイカは奴隷船の終着駅、最も長く最も過酷な航海に耐える肉体がなければ生きて船を降りることはできません。そして蒙昧な奴隷商人は高額で奴隷を取引するために、より強靭な肉体を持つ奴隷の男女を結婚させます。
NHKのBSドキュメンタリー「マイケル・ジョンソン アフリカのルーツをたどる旅」を観た方も多いでしょう。「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?」「黒人はなぜ足が速いのか」などこの問題にアプローチした書籍を読んだ人もいるでしょう。あくまで仮説で、残酷な歴史をほじくり返すことになるため、非常に扱いにくい素材です。
確かに遺伝子的には大きな違いがないから、奴隷船で命がけの航海の果てに生き残った黒人には強靭なパワーはあっても高地で日常的に有酸素運動を行う習慣はないから長距離には向きません。また、高地で有酸素運動を毎日繰り返しているアフリカ人もその生活習慣から非常にスマートな体型になるので瞬発力のパワーは劣ります。実際に、生活環境が向上した現在、米国黒人のスポーツシーンでの存在感はかつてのものではありませんし、同じことが都市部に移住した高地民族にとっても言えます。
しかし、彼らが遺伝子レベルではないものの、個体差のレベルで日本人よりも優れているとは確かに言えるでしょう。
それでも、それだけが原因でしょうか?日本人はどんなに頑張っても100m10秒や、マラソン2時間5分を切ることは不可能なのでしょうか?瀬古や宗兄弟らが世界と互角以上に戦えたのは、ケニア、エチオピアのランナーが本格的にマラソンに取り組んでいなかった時代の恩恵を受けていただけなのでしょうか?きっと、そうではありません。
いつの時代にも「ボルト」というイクスキューズは存在してきました。
カール・ルイスが83年の第1回世界陸上で衝撃的な世界デビューを果たした時、その100メートルの優勝タイムは10秒03でしたが、当時練習を積めばルイスにも勝てるなんて考える日本人指導者は一人もいませんでした。しかし、1999年、伊東浩司は10秒00の日本記録を叩き出します。単純な比較ですが、もし伊東が第1回世界陸上に出場していたらルイスをかわして優勝していたことになるのです。日本人が不得手と考えられている短距離ですら16年後には、実は世界に追い付き、追い抜いていたのです。それなのに1999年から18年間、日本の100mの時計もマラソン同様止まったままです。世界は時代とともに進化しているのに、日本は21世紀に入って成長がピタリと止まってしまっているのです。一体、何が原因なのでしょうか?
個体差レベルでの差はおそらく存在しますが、おそらくそれが20年近くもマラソンと100mの時計が止まったままの最大の原因ではないでしょう。
その答えは世界と戦う、世界で勝つんだという意識の違いだと思います。
マラソンが強かった時代の選手に肩入れしてるように書いてきましたが、彼らもやはり「日本人ではスピードが要求されるトラック競技で世界一になるのは難しい」というイクスキューズからマラソンを選んでいたのです。それが21世紀になるとポール・テルガド、ハイレ・ゲブラシラシエというトラック競技のトップ中のトップがマラソン転向、次々と世界記録を樹立して行ったのですから、その衝撃、絶望感は半端なものではなかったでしょう。せっかく彼らが走るトラックから逃げたのに、そのトラックで常勝のエリートが追いかけてきて、マラソンに侵略の手を伸ばしてきたのですから。
さらに、日本の陸上界の内部からも酷く悪性の膿が沸いてきます。「日本人1位」というアスリートが絶対に考えてはいけないはずの悪魔のフレーズです。どんなアスリートでもやることは一緒、絶対に守らなければいけない共通のルールがあります。「1秒でも速く、一つでも上の順位を目指して走ること」。これは同じ大会にチーターが出てたって同じです。その気持ちを放棄してしまうなら、その時点でもはやアスリート、競技者ではありません。瀬古や宗兄弟はマラソンに可能性を見出し、そこでアスリートを続ける道を選びました。彼らは世界一になるという渇望の炎に全身を焦がしていました。もちろん同じ日本人に負けたくないという気持ちはあったでしょうが、絶対に世界一になる、そのことこそが目標でした。
勝てないんだから、日本代表の選考基準を「日本人1位」にするしかない。選考会で優勝しなけりゃ代表に選ばれないなんて言い出したら、五輪マラソンに日本人が走らないのが当たり前になってしまう。五輪はケニアとエチオピアの選手が何十人も出場できない、最大で3人ずつしか出ることができないから彼らが綺麗に6位までに入っても8位入賞にはあと2枠残されている。優勝争いに敗れたランナーを後方待機戦法で粘り強く一人ずつ抜いていけば8位入賞の可能性もあるし、ケニアやエチオピアの選手がアクシデントで離脱する可能性もある…なに、それっ?て感じです。スタート時点でどんどん離れる先頭集団を眺めながら優勝争いを放棄した8位入賞にどれほどの意味があるのでしょうか。優勝争いから脱落して、姑息な後方待機の日本人に抜かれた勇気あるランナーは負けたと思うでしょうか。それとも、ああ素晴らしい作戦だと潔く負けを認めるでしょうか。
選手には何の罪もないことですが、これだけマラソン人気が高い国です。ロス五輪は日本時間で早朝スタートにもかかわらず50%以上の視聴率を記録しました。シドニーの女子マラソンもやはり50%以上の視聴率を叩き出しました。日本人マラソンランナーが世界をねじ伏せる瞬間をみんなが見たいんです。東京五輪まで、残された時間は少ないかもしれませんが、アスリートらしい勇気あふれる走りを見せて下さい。