マラソンの楽しみ方の一つに記録があることは否定できません。

先日のMGCのような勝負のみに興味が集約されるレースは稀で、五輪でも世界陸上でも大会記録や世界記録はメインディッシュの一つ、前菜ではありません。

日本人マラソンランナーが打ち立てた世界記録は1965年の重松森雄(2時間12分00秒)まで遡らなくてはなりませんが、まだこの世にいなかった私は当時のことなど知る由もありません。

しかし、1998年アジア大会(バンコク)で30度を越れる灼熱地獄を2時間21分47秒で走り抜いたときは度肝を抜かれました。

亜熱帯の暑く重く湿った空気の壁をつんざいて、テグラ・ロルーペの世界記録(2時間20分43秒)にわずか1分あまりまで迫ったのです。

ロルーペの記録は当時世界最高の環境と言われたベルリンで男子ペースメーカーの護送船団に守られて出した〝作られた世界記録〟でした。

高橋の場合はエリア大会とはいえ、勝負に徹するのが常識の国を代表する大会。しかも、開催地は超高温・超多湿の東南アジア。
彼女はそこで世界記録を狙ったのです。

失敗すると肉体的に大きなダメージを負うかもしれない危険極まるギャンブルにみえましたが、彼女と小出義雄監督だけ、世界でこの2人だけが確信を持っていました。

陽炎が立ち昇る焼けた街道を一人旅で走り抜いた高橋とロルーペでは、何もかもが違いました。

遥か彼方に置き去りにした第2集団の影も形も見えない殺風景なロードを世界記録を遥かに上回るペースで独走する高橋の姿は格好いいとか誇らしいとか、そんな感情までをも遥か彼方に吹き飛ばすほどシュールでアナーキーなものでした。

もし、途中からテレビを見た人はアジア大会という大きなレースではなく、高橋1人の鬼気迫るペース走にしか見えなかったでしょう。

こんな亜熱帯の炎天下、日陰もない一本道を華奢な女の子が42.195㎞を走る…大きな事故に繋がるのではないか…。

一度も後ろを振り返らずしっかと前を睨んで走る高橋の狂気に近い走りは、そんな心配も打ち砕きながら信じられないスプリットを刻んで行きました。

流石に終盤は失速、世界記録は逃したものの怪物的なヒロインのゴールにマラソンファンは喝采しました。

「ロルーペ、どっからでもかかって来なさい」。

現在では、ケニアやエチオピアの強豪ランナーを見ても悲しい哉、かつてのような戦慄や競争心が刺激されることはありません。

世界記録の周囲を徘徊する彼らは、いつの間にか倒すべき生身のライバルではなく、遠い遠い存在の超人か妖怪になってしまいました。

デレク・クレイトンの記録を更新したアルベルト・サラザールやロバート・ド・キャステラ、スティーブ・ジョーンズらの登場には「日本人が負けるかもしれない」と恐怖しましたが、それは半面「勝てる」「勝たなきゃならん」という意識の裏返しでした。

瀬古利彦が復活、日本記録で東京国際を制したときも「どっからでもかかって来なさい、世界」でした。

「面白くなってきたじゃないか、そうこなくっちゃ」と胸踊りました。


…私たちが、あの沸き立つような昂りを手に入れる日がまたいつか訪れるのでしょうか…。