平成がまもなく、その青春のカーテンを降ろします。

どんなに大声を合わせてカーテンコールを叫んでも、そのアンコールが応えられることはありません。

だからこそ、尊い、素晴らしい記憶となって私たちは心の中で真珠のように平成を抱き続けるのです。

元号を使う国は、今では日本しかないそうです。

いいですねぇ。素晴らしいです。

合理的なことに病的なまでに傾注するこの国が、究極的に非効率的な元号に盛り上がるなんて!

日本は捨てたもんじゃない!最高です!

無駄(失礼)、非効率、いいじゃないですか!

というわけで、この素晴らしき平成(1989年1月8日 – 2019年4月30日)という時代を、きっと平成なんて知らない、聞いたこともない外国人ボクサーたちを、この31年で区切って勝手にランキングしちゃいます。



平成時代17階級、最強は誰なのか!?

シラフでも怪しい私が、泥酔しながら書き留めていくので、年代やら細かい点の間違いはご容赦下さい(シラフでも怪しい、極めて怪しい…)。

平成、西暦年等、誤ってるっ場合は後日、訂正していく予定です。

異論反論、大歓迎です!
「次点」は平成31年間の該当階級で最も印象的な活躍を見せた日本人とします。

ただし、日本人該当者無しな重量級4クラスは外国人ボクサーを選びました。



◼︎ストロー級:リカルド・ロペス

これは文句ないんじゃないでしょうか?

ローマン・ゴンザレスは、このクラスで最高評価を得たわけじゃないので…といったらロマゴンはどこへ?まさか軽量級史上初のPFPキングがどこにもあてはまらないなんて、そんなわけないですが…。

ロペスのあまりに完成度の高いスタイルは、母国が愛するメキシカンスタイルとは懸け離れたものでした。

リング誌 BEST FIGHTER POLL(年間PFP)に、平成5年(1993年)から10位→4位→7位→6位→3位→8位→6位タイ→7位→10位と9年連続で10傑にその名を刻んだことは、欧米で軽視される軽量級ボクサーとしては異例中の異例です。

しかも、生涯無敗。

アラ・ビラモアをノックアウトした左アッパー。あの長距離砲を放てるボクサーが、歴史上何人いるか?

あの試合で引退を決意したビラモアは、当時25歳。日本のリングでもその洗練された技術と、29勝26KO(2敗)軽量級離れしたパワーを見せつけたビラモアが沈められた一撃は、計算され尽くしたビッグパンチでした。

これぞ、戦慄。

そんな歴代PFPでもその名が俎上にあがるフィニートですが、米国リングで生涯メインを張ることはありませんでした。

母国のスーパースター、ウンベルト・ゴンザレスの対戦要求を拒んだ理由を「逃げた」と考える人は少数派です。

「肉体と技術を研ぎ澄ましてリングに上がる。そこで見せるのは作品。最高の作品を見せれないクラスで戦うことに私は意味を見いだせない」。

ロペスの言葉が逃げ口上でないことは、彼の試合を見たら誰にでもわかります。
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ロペスが輝いていた1996年の「 KOマガジン」3月号のランキング(ボクシングマガジンから)。フライ級は当然ユーリ、ミドルはなんと竹原!

米国の雑誌だけにジュニアフライとストロー級は存在しません。

ボクシング衰退一途のいまは、「KOマガジン」も「ボクシングイラストレイテッド」も廃刊してから幾星霜…しみじみしてしまいます。


▶︎次点:大橋秀行

平成2年(1990年)2月7日、後楽園ホール。大橋が 、WBC歳ストロー級チャンピオン崔漸煥を突き刺すようなボディブローで悶絶させた瞬間、世界タイトル21連続失敗という屈辱の記録をストップ、1年3ヶ月ぶりに日本に王座をもたらしてくれました。

21連続挑戦失敗、1年3ヶ月もの空位…4団体が王座を粗製乱造する現在ではそんな屈辱の時間はもう味わうことは永遠になさそうです。

しかし、常に日本人の世界王者が10人前後もいる現状は本当に豊穣の黄金時代なのでしょうか?


 
◼︎ジュニアフライ級:マイケル・カルバハル
 
ジュニアフライ級で日本人でもないのに100万ドルファイターって、常軌を逸してます。

米国の「軽量級」は「ライト級以下」というのが常識ですが、日本人からすると「ライト級以下=9階級、17階級の半分以上なのに?」という疑問がふつふつと立ち登りますが、彼らにとって軽量級はせいぜいフェザー級まで、バンタムやらフライは何か面白い選手がいたら見てみる程度のクラスです。

日本人がスーパーミドルとライトヘビー、クルーザーを見る目と似ています。そもそも関心がない(日本人が関わることがない、国内階級に存在しない)のです。


▶︎次点:井岡弘樹

平成4年(1992年)12月17日大阪府立体育館。ストロー級に続く二階級制覇を狙った井岡は圧倒的不利予想の逆風の中、ホームのリングに上がりました。
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相手は17連続防衛中、無敗のWBA王者 柳明佑

ソナギ(激しい夕立)と恐れられた攻撃を、井岡は長くて速いジャブで寸断2−1のスプリットデジションを手繰り寄せました。

その後「集計ミスでドロー」と発表さえますが、結局は元の鞘に収まりました。

それにしても酷い話です。ミスの張本人は「ラウンドごとにジャッジペーパーを集計するWBAのヒルベルト・メンドサ会長の勘違いだったというのです。

会長が集計したんかいやーッ?????という驚きの事実にボクシングファンは、竹中直人のように怒りながら笑うしかありませんでした。

当時「WBAとWBCはとっとの消滅して、承認団体ではなくちゃんとした統括団体を創ってくれ!」と切に願ってましたが、あれから27年、腐敗承認団体は〝主要〟と呼ばれるものだけで4つに増殖しました…。


当時は辰吉丈一郎がただ一人の世界王者でしたが、井岡の戴冠で二人が並び立つことになりました。



 

◼︎フライ級:ユーリ・アルバチャコフ

テクニック、スピード、そしてパワー。さらに冷徹な殺傷本能まで。ボクサーとしてここまでトータルパッケージな才能は稀です。

あのムアンチャイ・キティカセムをタイで、あそこまで残忍に斬り落とせる実力のあるボクサーはいません。

ロマゴンを当て込むとしたら、ここでしょうが…独断と偏見でユーリです。


▶︎次点:内藤大助

平成で最も世間の耳目を集めた亀田騒動から、興毅&大毅の合わせ技一本もありかなとも思いましたが、内藤でしょうね。

1ラウンド34秒でKOされる屈辱の階級最短記録(平成14年=2002年):ポンサクレック・ウォンジョンカム戦)は、純度の高い勇気の裏返しでもありました。





◼︎ジュニアバンタム級:シーサケット・ソールンビサイ

カオサイ・ギャラクシーとビック・ダルチニアンをどうするのか?「ドネアのプライムタイムが115ポンド」という見方も根強く、難しい階級です。

それでも「スーパーフライ興行」でロマゴンに二連勝、ファン・フランシスコ・エストラーダまで下したことは無視できません。

エストラーダとの再戦は落としてしまいましたが、平成時代で最も輝いた115パウンダーでした。

カオサイはWBAバージョンのみ、ダルタニアンも再戦決着が熱望されたドネア戦が実現せず、階級最強と呼ぶには残念な不確定要素が多すぎたのがマイナス。


▶︎次点:鬼塚勝也

オマール・ナルバエスの長期政権にピリオドを打った井上尚弥も候補でしたが、モンスターには令和でもっと大きなスターになって頂きましょう。

鬼塚は、タノムサク・シスボーベーとのWBA王者決定戦を疑惑の判定で戴冠しました。

元々が人を寄せ付けないストイックな面を持った青年でしたが、疑惑判定でバッシングを受けたことでさらに自分の殻に閉じこもった影のあるヒーローでした。

パワー、スピード、テクニックと全てのマトリクスで平均的な世界基準の枠を出ないボクサーでしたが、ハートの強さは紛う事なきチャンピオンでした。

 

◼︎バンタム級:ノニト・ドネア(平成22年=2011年バージョン)

バンタム級で戦ったのはわずか3試合のドネアですが、その輝きはまさにフィリピーノフラッシュ!

長谷川穂積を粉砕したフェルナンド・モンティエル相手に、オッズと専門家予想ともに圧倒的有利。2ラウンド予告KOまで現実にした、スペクタクルは「軽量級のモハメド・アリ」(ボブ・アラム)。

会場のラスベガス、マンダレイベイは3階席を封鎖、チケットも当日はタダ券バラマキと日本のボクシングファンからは「後楽園ホールでやったら有料入場券でフルハウスやろ!」という、なんとも割り切れない気分でした。

ドネアもモンティエルも日本を主戦場にしてたら、あのビッグファイトが HBOデビューという不可解なこともなかったんでしょうが、キャリア序盤で「モンティエル小泉」とかで日本のリングに上がり続けてたら、更にこぢんまり収まったボクサーになってしまってたのかもしれません。


▶︎次点:辰吉丈一郎

「次点」は選挙的な〝PFP2位〟ではなく、平成という道に最も印象的な轍を残したボクサーです。

日本のファンという視点からはもちろん、現在に至る「WBC=日本」という悪い意味での利権の道を切り開いたという点でも出色です。

「スライマン会長に感謝したい。何度も何度もチャンスをくれた」。涙ながらの辰吉の言葉は、感動よりも幻滅でした。

誤解されると困りますが、私は辰吉の大ファンです。

「です」と現在進行形で語れるところが、浪速のジョーのアッパレなとこで、もっともっといろんな話、もちろんボクシングに関することですが、してほしいですね。





◼︎ジュニアフェザー級:エリック・モラレス

最初はギレルモ・リゴンドーが頭に浮かびましたが、モラレスですね。

痩身から繰り出される拳のなんと鋭角で強烈だったことか。

平成9年(1997年)にダニエル・サラゴザを引退に追いやるTKOに葬り、WBC王座を獲得。
 
平成12年(2000年)9度目の防衛戦で史上最高の打撃戦を繰り広げたマルコ・アントニオ・バレラとの決闘。

撃ち合い上等なのに洗練されたスタイル、途轍もない強打者なのに鋼鉄の顎も持ち合わせている。メキシカンならずとも世界中のボクシングファンが愛さずにはいれませんでした。

フェザー級に上げてからもエル・テルブレ(恐怖の男)の勢いは衰えず。平成14年(2002年)バレラとの再戦で微妙な判定を落とし、デビューからの連勝は41で止められたものの、軽量級では異例のPFPを賑わす存在であり続けます。

平成16年(2004年)、ヘスス・チャベスを下してWBCジュニアライト級王者に。フリオ・セサール・チャベスに続くメキシコ人三階級制覇を達成。

最終的には四階級を制覇しますが、モラレスが最も恐怖されたのはジュニアフェザー級時代でした。


 
▶︎次点:西岡利晃

西岡で文句無しではないでしょうか?

ウィラボン・ナコンルンアンプロモーションの王座に挑んで、屈辱の四連続失敗。

敵地でジョニー・ゴンザレスを番狂わせの逆転KO。 

PFPファイターのノニト・ドネアを執拗に追い続けた栄光への渇望というコインの表は、ひっくり返すと理不尽なMGM興行を作り上げてしまう〝欺瞞〟の裏面も見せてしまいました。
 
それでも、誰が一番強いのか、その一本道が見えない時代に魑魅魍魎の森に迷ってしまった真面目な努力家でした。

ドネアをストークした〝片思い〟が真っ直ぐに美しい純情であったことに、異論を挟む余地はありません。





▶︎次点のナジーム・ハメドが先に決定するという混戦クラスがフェザー級。

ハメドはあからさまにファン・マヌエル・マルケスから逃亡した姿が滑稽でしたが(日本ではこの種の報道は少ないですね、リング誌もESPNもチキン呼ばわりでしたが)、試合は間違いなく面白かったです。

マルケスとやっても勝機は十分あったと思うのですが、それは素人目なんでしょうね。

マルケス、エリック・モラレス、アントニオ・マルコ・バレラ…超がいくつもつく強豪を避け続けながら、最も相性がいいはずとしぶしぶ対戦に踏み切ったバレラとの一戦(予想・オッズともにハメドでしたが…)では、全く良いところ無く明白な判定負け。バレラが安全運転に徹しなければ、間違いなくノックアウトされていたでしょう。

のちに米国ファンは「バレラ戦を不当判定でチキンハメドが勝って、パッキャオに粉砕されるところが見たかった(パッキャオならKO狙いに行った)」と笑いましたが、ハメドはけしてチェリーピッカー(雑魚狩り)ではありませんでした。

ピークを過ぎた強豪とは積極的に戦いましたし、逃げたのは誰もが恐れる歴史的なメキシカンでした。

だからといって、逃げても仕方がないというわけじゃありません。

あれほどの数字とパフォーマンスを残しながら、一発殿堂を逃し、殿堂入りも大幅に遅れた理由は、たった一つです。

投票権のある記者はもちろん、ファンの声も「だってお前チキンじゃん」その一言です。



■平成最強のフェザー級は誰なのか?

ハメドが逃げ回ったマルケスか、それともハメドに完勝したバレラか。

ここは田中繊大がトレーナーを務めた時期もあったバレラです。

ベイビーフェイス・アサシンのフェザー級の〝治世〟はハメドを下した平成13年(2001年)4月7日から、平成15年(2003年)11月15日にパッキャオにまさかの大番狂わせでTKOに散るまでの2年7ヶ月。

しかし、フェザー級最強政権でバレラは主要アルファベットタイトルを保持していなかったという非常に現代的な矛盾を抱えて戦っていました。

ハメド戦でかけられたのは空位のIBO王座。モラレスとの再戦でかけられたWBC王座も即日返上(この試合が階級最強決定戦であることは誰もが認めており、バレラはリング誌王者に就きます)。

それでも、バレラがハメドから目に見えないリネラル王者のタイトルを強奪し、フェザー級最強であったことは誰もが認めるでしょう。

アルファベットタイトルが最強の証明にならないことを、あらためて世界に示したのがバレラでした。

かつて、日本酒は納める税金によって「特級」「一級」「二級」などと区分けされ、味は高水準の地酒が二級酒という矛盾がまかり通っていました。

現代の世界王者も高い承認料を支払うことで「特級」の看板を上げているマガイモノが珍しくありません。




◼︎ジュニアライト級:
 


◼︎ライト級:シェーン・モズリー
 
モズリー、かな?

フリオ・セサール・チャベスのメキシカンスタイルが世界を鎮圧した頃に、平成が幕を開けました。

ジュニアライト級のチャベス〝昭和バージョン〟は圧倒的に強かったのですが、いかんせん昭和(たぶん)。

ライト級は、モズリーのスピードとパワーが圧倒的でした。ライト級モズリーなら、ロマチェンコやクロフォードは何もできない気もします。

まー、当時もモズリーはリバウンド大王でライト級(135)でも、リングにはミドル(160)前後で上がってましたから、ジュニアフェザー(130)ナチュラルのロマチェンコにとっては〝スピードも精度もパワーも半端ないオルランド・サリド〟のモズリーがどうしようもないのは当然ですが…。
 

◼︎ジュニアウェルター級:マニー・パッキャオ 

次点:

 

◼︎ウェルター級:フロイド・メイウェザーJr.

 

◼︎ジュニアミドル級:

 

◼︎ミドル級:バーナード・ホプキンス
 

◼︎スーパーミドル級:アンドレ・ウォード

次点:

 

◼︎ライトヘビー級:

次点:バーナード・ホプキンス

 

◼︎クルーザー級:イベンダー・ホリフィールド
 

次点:オレクサンダー・ウシク

 

◼︎ヘビー級:ウラジミール・クリチコ
 

次点:ジョージ・フォアマン 



◉タクシーに乗ってしまいました。車酔いしてしまいそうなので、また明日以降に。。◉